住職の日記

方便の中にすべて収まってしまう

方便の中にすべて収まってしまう

休憩所のつばめの巣に新しい家族が来ました。

無事に孵るといいですね。

さて、こうしてつばめは日本に子供を産みに南の国から渡ってくるのですが

親鳥は本当に一心不乱に空を飛び回ります。

まず巣作りから始まり、子供が生まれたら餌を運びと脇目もふらず、ただ一心に子供のために空を飛び回ります。

これが、生の究極です。

つまり、「子供を無事に育てる」という中に、自分を含め、今後の事や、過去の事や美しい緑も

すべて含まれているのです。

そこに考え、こだわり、分別を超えた、純粋な生の境地があるのです。

思慮分別することは大切です、しかし、考えることはエネルギーが要ることなので

それなりに、満足してしまいそうですが、動き出さなければ何もなりません。

全ては、その方便の中にあるのですから。

我々には、本来過去や未来、寝食を忘れるくらいに、夢中になれる事があるはずです。

そして、それは人それぞれに違い答えはすべて自分の中にあるのです。

従って、いくら他の人に答えを求めても、アドバイス、ヒントになるかもしれませんが

答えは出るはずがありません。

ただ、現実には「夢中にしたいこと」だけに没頭できる人って殆どいないと思うのです。

従って、「しなければならない」「できること」「したいこと」それらのバランスを取らなければ

自分だけならまだしも周りに迷惑をかけます。

ということは、「好きなこと」とか「嫌いなこと」など分別せず、何でも真剣に行えば良いということですね。

好きだから一生懸命、嫌いだから手を抜くでは、苦しみからは永遠に逃れることは無いでしょう。

そうなれれば、徐々に自分という確固たる存在がハラハラと剥がれだし、流れる水の如く清められ

空ざれていくのです。

そこは、自分も他人も無い、すべてが溶け込んだ無我の境地であり、そこは無常の鬼が立ち入ることが

出来ない世界なのです。

従って、目の前の事を真剣に取り込んで見ましょう。

その方便は、苦しみや悲しみや過去の囚われも、未来への不安をも度す渡船なのです。

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