心が豊かになれば…
初物のかぼちゃ。
こうして暑い時は栄養をしっかり取りましょう。
さて、筆供養、包丁供養、針供養、等我々日本人は様々な物も供養します。
こうして、物に対しても慈しみの眼を向けられるという事は、本当に豊かな心を持っているとも言えます。
日本は今はそうではありませんが、昔仏教は国教でもありました。
しかし、時を経てもその心が馳せることなく、我々の潜在意識に残り、他を思いやる心が存在しているのです。
よって、こうした「物」に対しても慈しみの目が向けられるのであります。
この世は無常で全ての物は、言うなればサラサラの砂の様な物で実体はないわけですが、
逆にいうと、無常だからこそ「物」は大切にしなければならないとも言えると思います。
物はそのサラサラの砂を僅かな水分(縁)によって形成されているのです。
物を大切にするという事は、縁を大切にする事と一緒なのです。
「今は物はたくさんあるから、物の価値はなくなったからテキトーに扱えばいい」とおろそかにしていると
自然に人との接し方、つまり縁をおろそかにしていることにつながっているのです。
「縁欠不生」というように、縁をおろそかにして幸せになることは、まず不可能であります。
供養とは真心をこめて、お香やお花・燈明、飲食などのお供物を捧げることを言います。
もうすぐお盆がやってまいります。
お盆では年に一度仏の世界からご先祖様がご自宅にお戻りになられる期間であります。
この期間、まごころを込めてソーメンやお花や灯明などを捧げ、おもてなしをしましょう。
そうすることにより、他を思いやる心がいかに大切なのか学ぶことが出来、豊かな心が養われるのです。
心が豊かだと、様々な物を思いやる事ができ、当然ながら豊かな世界になるのです。
心と体が通じ合っているように、世の中も我々の心とつながっていて、決して別々に存在しているのではないのです。