住職の日記

実るほど頭が下がる

実るほど頭が下がる

こんばんは。

今日から九月。

学生さんは学校始まりましたね。

普段の生活に慣れるまで、大変だと思いますが頑張ってください。

さて、地蔵寺の周りの稲穂も収穫はまだまだですが随分大きくなりました。

夏場は忙しかったので、中々気付かなかったですが、随分大きくなりました。

実るほど頭が下がる稲穂かな

我々人間は知識や実績を積むにつれ、慢心が生まれ、人を上から見下す事があります。

そうすると、自分の姿だけでなく、周囲を見えなくなり、大変危険な状態に陥ることになります。

でもなぜそれが危険かと申しますと、この世は「無常」だからであります。

常に時代は動いて行き、物事は変わっていきます。

従って、慢心が生まれ、「もうわかった」「極めた」と思って止まった瞬間から、無常の風にさらされて風化が始まって行くのです。

そして気付いた時には、時代とは全くズレた事を平気で言うようになるのです。

ちなみにおごり高ぶってますから態度も大きく、その姿は滑稽であります。

本当に優れた人は、どんな素晴らしい能力や実績を持っていても、常に謙虚で勉強してます。

という事で如何に我々は「謙虚であり続ける」かが課題とも言えます。

その為には帰依の精神が大切になるのです。

謙虚さは畏敬の念から生まれ、それは祈りの中から生まれて来ます。

我々の家や家のそばには、都合のいい事に、神様や仏様がいるでありませんか。

そういった尊い方に、日々祈りをささげる事により、自然に謙虚さが生まれ常に

心に容量が少し空いた状態をキープできるのです。

そうすることにより、新しい事にも、昔からあるものにもどちらにも敬意が払え受け入れて行き、時代に対応でき豊かな生活が出来るのです。

我々はこの世で仏になることが目標であります。

そして、仏とは全てを受け入れた方であります。

その為にはどうしたって謙虚さは必要となります。

神仏に祈りを捧げ、強く謙虚でいる事を心がけましょう。

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