住職の日記

守るだけでなく背負う事

守るだけでなく背負う事

雨に濡れた紅葉もいいですね。

美しさ倍増です。

ここ数日は暖かったですが、今週末からまた寒気が舞い戻り本格的な冬になるそうです。

インフルエンザも流行っているそうで、どうか十分お体には気を付けてください。

さて、「先人の意思を継いでいく」「伝統を守っていく」と言うと、「元の姿にかえる」という意味でいいと思いますが

それはそれで大変素晴らしいと思いますが、それだけでは時代に対応できない可能性があります。

では、如何にしたらよいかと申しますと、伝統をまたは思いを「背負っていく」という事です。

その状態を、そのままの状態で保存するというわけではなく、時代の波に乗り、伝えて行く事が大切になるのです。

真言宗の中興の祖の興教大師覚鑁上人は衰退していた弘法大師空海の教えをもう一度興そうとされました。

しかし、それは単に「大師の教えに帰る」だけでなく、弘法様の教えを背負って時代の波に乗って

我々衆生のもとまで行き渡らせるという物です。

と言いますのも覚鑁上人が活躍された時代の平安末期は、天皇や貴族が支配していた時代から武士の時代への

移行期であり、さらに災害や飢饉など起こり世の中は荒れ果てて人々は不安を抱えて過ごし

末法思想と言う物が蔓延していました。

そんな時代に、行動(身密)と言葉(口密)と心(意密)を仏さんの様に整え、今生で仏さんになろうという真言宗の教えは

その時代の人々にとっては、ハードルが高すぎて中々受け入れられませんでした。

その反面蔓延したのがを「浄土往生(じょうどおうじょう)」という思想です。

仏教は「仏に成る」という教えですが、今生での成仏を諦め「なむあみだぶつ」と念仏を唱え、

死後阿弥陀様の西方浄土に往生(住(ゆ)き生まれる)するという考え方です。

ここで覚鑁上人はこうした社会情勢を汲み

その「なむあみだぶつ」と唱える念仏を否定せず

真言宗の「真言を唱える」とをジョイントさせ、「真言念仏」と位置付けました。

しかし、真言宗の目標は今生での成仏であり

その為には先程の行動(身密)と言葉(口密)と心(意密)の三密を整えなければ

なりません。

そこで興教様は「一密成仏」という教えを打ち立てます。

その名の通り、行動(身密)と言葉(口密)と心(意密)のいずれか一つを整えさえすれば

自然に残り二つは仏様の秘密の力が働き、いずれ三つ整うという教えであります。

一心に阿弥陀様にお祈りをすれば(口密)、次第に心が穏やかになり(意密)、心が穏やかになれば

行動も当然穏やかになる(身密)という構造です。

これを実践する者は、その場に浄土が広がり、その姿は疑いの余地なく仏であるのです。

これは弘法大師空海様の時代にはなかった教えです。

しかしこれは、即身成仏(この世で仏になる)と浄土往生(死後西方浄土に住き生まれる)という

矛盾する教えを、ジョイントさせ、これは弘法様が日本に伝えた密教の「不二」の発想を見事実践されたのです。

こうして、真言密教をその時代に見事に合わせ、弘法様の教えを背負い皆に広めたわけです。

もし、その時代の社会情勢を汲まず、三密を主張していたならば、弘法様の教えはどうなっていたでしょうか?

当たり前ですが、どんな素晴らしい物でもサービスでも、価値が伝わらなければ廃するのみです。

それは教えでも同じです。

正に覚鑁上人は弘法様の「教えを興した」素晴らしいお方なのです。

そして、それは我々もそうでなければなりません。

それぞれに伝統や先人の思いを受け継いでいると思いますが、それだけでは無常の風に吹き飛ばされるだけであります。

そのままでいい物はこの世で何一つ無いのです。

そうした思いを後世に本当に伝えたいのなら、背負って時代の波に乗る事です。

そうでなければ、細々となるか、廃するか、のどちらかです。

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