地域で作り上げられていくものは…
本日、夏の盆踊りに向けての会議が行われました。
今いろんなコミニュティが存在しますが、今注目されているSNSなどネットでの交流は
もう当たり前になっていますが、こうしたリアルのコミニュティも大事なのは言うまでもありません。
「現実」という言葉を紐解きますと「今目の前に事実として現れているもののこと」であります。
ネットとリアルは分け隔てはありません、しかし区別はしなければなりません。
ネット上だけでネットワークが取れていても、今目の前、つまり自分たちの住んでいる町のネットワークが
取れていなかったら、真の豊かな生活が出来るのでしょうか?
その昔、興教大師様は、浄土教が流行った際に、それを認め、むしろそれを真言宗に積極的に取り入れて行きました。
極楽浄土(理想の世界)と密厳浄土(現実世界)は別々に存在しているのではなく、実は一つの世界なのですが
その2つの世界を区別して使い分ることが非常に大切になるのです。
理想の世界とはつまり、苦しみのない世界であります。
自分の好きな人と自分の好きなことだけが出来る、ノンストレスの世界です。
大変羨ましい世界ですが、我々が現実にいる世界は嫌であろうと何であろうと、この苦に満ちた
この世界なのです。
それぞれ考えは違うし、自分の好きなことをするだけでは、中々難しいでしょう。
そうした中互いに譲り合い、矛盾なままに統治していくことが大切になるのです。
これが、「俺はこうだ」という個性を全面に出し合えば現実は、地獄と化します。
また、理想の世界、つまり苦の無い世界の集団で作り上げていくものは実に個性的でありますが
自分の考えとは違う人たちとは触れ合わずに出来上がっていくので、その世界に賛同すれば
その恩恵を享受出来ますが、そうでなければ全く無意味になるのです。
もちろん、それはそれでいいのですが、インフラにはならないということなのです。
それとは別に、例えば地域などのいろんな主張をもった人たちと現実世界で作り上げて行くものは、
インフラにより近いに思います。
仏様の慈悲心とは、分け隔てなくすべての衆生に降り注がれているものです。
つまり、こうした現実世界で作り上げていくものは、平等にその恩恵が行き渡りますから
すべての繁栄に繋がっていくのです。
ただ、人と意見が合わないのは、大変ストレスになることですから、そうした疲れた心体を癒やす為に
ネット上や共通の趣味などの小さいコミニュティなど理想の世界を楽しむ事が大切になるのです。
そうすることにより、そこで個性的な物が作り上げれてたり、個性的な人が育まれて
結果この現実世界が個性豊かな曼荼羅になっていくのです。
また、現実世界でのすれ違いによって疲れた心体を癒やして、
英気を養うことも大切になるのです。
ただ、現実は「今」ですから、いくら「こうなったら良いなぁ」と理想を描いていても
理想は理想で、現実ではないのです。
つまり、理想実現の為には理想と現実を引き合わせる努力が必要で、やはりそこには困難が待っているでしょうから
理想の世界を持とうが、ネットが行き渡ろうが、苦を乗り越える力が必要になるのです。
理想の世界(極楽浄土)を実現させるためには、この現実世界(密厳浄土)とは切り分けずに
そして区別はして、行ったり来たりしましょう。
困難を乗り越えて極楽浄土を現実に出現させる事が大切なのです。