住職の日記

困難も工夫すれば…


近所の方から香嵐渓のおみやげで、黒米パンを頂きました。

もっちり、しっとり美味しいです。

黒米は栄養価が高く抗酸化作用があるので、デトックス効果もあるそうです。

…我々の体は日々「酸化」していると言われています。

我々は日々酸素を吸っているのですが、その酸素が体の中の栄養素と結合し

それがエネルギーになるのですが、すべての酸素が使われるわけではないのそうで

その残った分の酸素が酸化するそうです。

つまり、金属同様、体の中が錆びつくということですね。

それで、体の中の機能が衰え、様々な病を引き起こすそうです。

そこで、こうした抗酸化作用の高い物を摂取することで、体の中の錆取りを

してくれるということですね。

…しかし、錆びつくのは何も体だけではありません。

我々の心も錆びつくのであります。

様々な情報や物を持っても、それに伴い行動に移さなければ

どんどん、心が酸化するのです。

その錆を取るのが「仏法」で有ると思うのです。

と思うと、「ご祈祷をすれば御札を買えば、解決する」と思われがちですが

そのままでは、効果がありません。

当然修行をしなければならないのです。

お札やお守りは仏様の分身であり、その前で我々が仏様に誓願を立てて

快適に修行しやすくする為に存在するのであります。

そこで、修行というのはこの世に存在する苦を正面から受け止め

それを、自身に本来備わっている方便で、乗り越える事であります。

つまり、苦という、毒を飲むということでしょうか。

…黒米の味は知りませんが、以前同じデトックス効果のある玄米を食す

生活にチャレンジしたのですが…中々続けられませんでした。

白米の美味しさに慣れているので、どうしても独特の香り、味に耐えられませんでした。

しかし、こうしてパンにしたり、普段炊くお米に少し雑穀や黒米を混ぜ

工夫すれば、食べやすいですよね。

「工夫」とは実は仏教用語でして、頭を巡らしよく考察することです。

修行と言っても、ただガムラシャラに行っても、中々続けられません。

ですから、頭も巡らし、工夫をこらす事によって、苦を乗り越えられる橋を

かけることが大切です。

そして、自身が渡れたら、皆も渡れるように、橋の普請をしなければなりません。

…真言宗の教えに「一密成仏」があるのですが、この世で仏になる為には言葉(口密)と行動(身密)と

心(意密)の三密を仏様の様にしなければなりません。

しかし、この教えはその三密のどれか一つでも整えていこうと、すれば

残りの2つも後に揃っていくという教えであります。

と言うのは、この世は生老病死の苦が渦巻く、苦海であります。

我々の体は一分一秒刻々と老病死に向かっているのです。

ですから、特に「身」で行える部分は、時間とともに削られていくのです。

ですが、だからといって、修行ができないわけではありません。

言葉(口)でできる修行だってあるのです。

体が動かなくて「できない」「できない」と愚痴をこぼす前に、施してくれる人に

言葉で「ありがとう」と一言、相手に伝えれば、多くの方が救われるのです。

こうした「一言」と言うのは「易行(簡単な修行)」に位置づけれると思いますが

これが簡単だから、できるかと言うと、難しかったりもします。

「自分はこうしてきた!」「こんなはずじゃない!」自我が働きますからね。

ですから、真言宗の教えはどんな人でも、どんな状況でも、皆が修行し、彼岸(仏の世界に)

至るための「橋」なのです。

そのままでは難しい、でも頭も巡らし、工夫を凝らせば橋がかけられるのです。

従って、困難なこと、にあったら目をそむけずに、どうにかできないか、工夫してみましょう。

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