周りや相手に合わせて
穏やかな海。
見ていて心が落ち着きます。
さて、「常に笑顔を絶やさない」事は大切です。
しかし、時と場合によります。
例えば、愛する人が無くなって、悲しんでいる人の傍でニコニコ笑っていたら、相手は良く思いません。
従って、いくら素晴らしい笑顔も「常」では良くないのです。
「真理」は大切で、基本であり、一番の拠り所としなければなりません。
しかし、それを説いても、例えば先程申した状況下においては、笑顔と同じく最適ではありません。
だって、最愛の人を無くした人に向かって、「君が悲しんでいるのは執着が働いているからだよ」
「それを捨てなさい」と言えば、怒る事はあっても、慰められる事は無いでしょう。
そんな事は分かっているのだけれども、そうすぐにはその状況を受け入れる事が出来ないのも
また人間で、それが普通です。
従って、我々はどのようにしたらよいかと言うと、相手が悲しんでいたら察して、一緒にしんみりしたり
逆に皆が喜んでいる時は、自分が少し悲しい事があっても、一緒になって喜びを分かち合う。
と周りの状況に合わせなければなりません。
それが常に変わり続ける無常の世での、ある意味ルールなのです。
仏様は真理を体現されたお方です。
しかし、仏様は我々の心境や置かれている状況によって、実は姿を変えて寄り添ってくださるのです。
皆さんも経験あると思いますが、悲しみに暮れているところに、そっと寄り添ってくれる友人
それは仏様が姿を変えた観音さんかもしれません
自分が道を踏み外そうとしている時に、体をはって止めてくれる人はお不動さんかもしれません。
仏様は我々の状況を読み取りその状況に対応し、漏れることなく「常に」見守っておられるのです。
我々が目指す仏様は真理を体現されたお方のことですが、突き詰めた真理だけ説けば正解ということではないのです。
仏教を開かれた、お釈迦様の説法は対機説法と言い、相手に合わせて、説法を変えているのです。
全てを受け入れた人は、「真理はこうだ」とこだわること無く
相手に合わせて、行動し、言葉を発する事ができるのです。
従って、我々もそれに習い相手や、周りの状況に合わせて
言動を取ることが大切になるのです。