住職の日記

名選手は名監督では…

名選手は名監督では…

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夕日が綺麗な季節になりました。

雲の上に夕日が乗っかり、阿弥陀如来様の来迎の様子を

表しているように思います。

「おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらはりたやうん」

我々のお唱えする光明真言というお経(真言)が有るのですが

これを真言宗の中興の祖「覚鑁上人」は次のようにおっしゃられています。

「如何なる罪業深重の男女にても、この功徳を信じて(光明真言を)唱うる時は

無量寿如来(阿弥陀如来)五智の光明に照らされて往生浄土の素懐を遂げんこと

疑いなきものなり」

つまり、一心に信じてこの真言を唱えると阿弥陀様の極楽浄土へ

導かれ往生できると言われているのです。

しかし、覚鑁さんは真言行者であり、真言を百万遍唱えるという求聞持法を何回も

行われられたり、四年間に言葉を交わさない「無言行」をとり行われ

厳しい困難な行を行われた方であります。

そして、御存知の通り真言宗はこの世での成仏が目標であり、

その為には身(体)、口(言葉)、意(心)を仏様の様に整えなければいけません。

しかし、覚鑁さんが活躍された平安末期はちょうど、貴族の時代から、武士への時代への

変わり目であり、そして、飢饉や災害などが多発し、世の情勢は

殺伐としたものであったのです。

そんな中真言宗の教えというのは非常にハードルが高く、人々には到底

受け入れられるものではなかったのです。

そこで、当時広まっていた浄土教(死後極楽浄土へ往生する教え)を真言宗に取り入れ

真言念仏を完成されたのです。

ただ、これには旧体制からは、大変避難されていました。

ですが、念仏を取り入れられたのは、当時随一の行者である覚鑁上人であるのです。

厳しい修行を何度もこなされた方であります。

その方が、念仏を取り入れられたというところに、我々が学ぶべき教えがあると思うのです。

…よく「名選手名監督に非ず」と言われますが、もちろん必ずしもそうではないのですが

一般的に言われているのは「自分は出来たんだからこうやれ」「自分はこれで成功したからこうだ」

と持論を押し付ける傾向があると言われています。

才能のある人は、無い人の事は中々わからないかもしれませんね。

例えば、若い人が老いた身体がわからないように

お金持ちが、お金がない人の気持ちがわからないように

健康な人が、病んでいる人の気持がわからないように

中々、わからないものです。まぁ他人ですからね当然です。

もちろん、そこで決断をして、できない人は、カットするということも

一つの手です。それもその人の意見ですから、尊重すべきでしょう。

しかし、本来仏教はすべての人が生かされる教えであるのです。

「三密に限る」と決断してコアな教えにしていけば

老いた人、心や身体を病んだ人はその教えに参加できないのです。

しかし、「一遍でも真言を唱えれば、往生できる」と口密という修行で

参加してもらえば、皆が救えるとの慈悲深い思いで、この念仏を取り入れられたのです。

そして、その「慈悲」というものは、その厳しい修行の中から得たのではないかと思うのです。

人々の痛みを分かつために、修行をなされ、昨日申しましたように、その人その人の適切な

仏教への「間」を考えること(対機説法)が大切だと感得なされたのでしょう。

また、覚鑁上人は元は九州は肥前の国の追補使(今で言う警察)の家でお生まれになり

幼少期から厳しい年貢などで喘ぐ人々の生活を目の当たりにされていたのも、その慈悲の心

の糧かもしれませんね。

悟った人だからこそ、その人その人に適切な、修行を見つけそれを説くことができるのでしょう。

そして、自分とは他人は違い、そして命は一つであると、多様性の中での一体性を感得なされたのでしょう。

出来る人が、導ける人とは必ずしも違うのです。

そうして、自分への厳しさと、他へ慈愛の心、このハイブリッドこそ、覚鑁上人であり

我々が学ぶべきところではないかなぁと思うのです。

とは言うものの、いきなりそんな尊い行いは真似できませんので、

最低でも人と自分は違うんだという自覚だけは持っておきたいですね。

それがあれば、他人の成功や人生を羨んだり、何かと比べて卑下したりすることは

減るんでは無いでしょうか?だってそれは自分でなく他人なんですから。

そして、我々が避けられない「苦」は他への優しさに変わるのです。

その違いがある世の中で、「今」自分ができることで「他に施しをしていく」という共通目的を持ち

その混沌とする世界を統制していく事が、それぞれの個性を侵害せず活かし、

尽くし合う世、密厳仏国であるのです。

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