住職の日記

同じ能力でも…

同じ能力でも…

ツバメが大きくなりました。

巣立つ日は近いです。

さて、皆さんの周りにもこの人素晴らしいなぁと思う人がいると思いますが

おそらく、共通しているのは謙虚と言う事です。

仏教に「和光同塵」と言う言葉があります。

仏様が人々を救済しようとする際、そのままの姿ではあまりにも尊すぎて教えをつたえる事が出来ません。

したがって、塵や埃でその輝きを和らげて、お地蔵さんや観音さんのような親しみを持ってもらえる菩薩の姿になり、我々の目線に合わして教えを説いてくださるのです。

全然知らない人に、難しい言葉や専門用語をバンバン使い、その専門家でなければ分からない難しい言葉で人に伝えることは、ただの自己満足です。

挙句に「そんなことも知らないのか」と言わんばかりの対応になったら、本当に最悪ですね。

もちろん、専門的知識がある人にはいいかも知れませんが、それ以外の人には大抵の場合嫌われます。

その人は嫌われるだけで済みますが、その知識や教えと言った物まで衰退していってしまっては、本当に勿体ありません。

人々に行きわたらないと言う事は、存在してないのです。

と言う事で、その人の知識も無駄に等しいのです。

だからこそ、わかりやすく伝える事が必要になるのです。

その為には、相手を受け入れる事から始まります。

受け入れる為には、謙虚でなければなりません。

その人に合った言葉、対応で寄り添う事が大切になります。

優秀な人は能力、知識があるにも関わらず、偉ぶらず親しみやすく、穏やかな柔らかい光を放ち、我々に寄り添ってくださります。

「人の為に役立ちたい!」と思う人は、まず、人に親しんでもらう為に自分の能力をひきらかさない事が大切で、それが出来ない人はその気がなく、ただ自分の能力に酔ってるだけなのです。

自己満足する為の能力か?それとも人々の役に立つ為の能力なのか?

同じ能力でもえらい違いですね。

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