住職の日記

出逢いは世も変える

出逢いは世も変える

白梅が咲き出しました。

今日は少し寒いですね。

本格的な春はまだちょっと先ですね。

さて、今の時期各地卒業式が行われていると思いますが、出会いがあれば別れがあるのが世の常であります。

出会いは別れとワンセットであります。

そのどちらも大切ですが、人との出逢いや言葉との「出逢い」は、我々が仏になる為には欠かせません。

我々は仏になる素質は保持していますが、それを発芽させなければ何の意味もありません。

では、その種を如何にして発芽させるのか、つまり如何に刺激を与えるか?であります。

それは、人それぞれでしょうが、なんといっても「出逢い」です。

それが、人かも知れませんし、言葉かも知れませんし、わかりません。

ただ、何かの出逢いをきっかけに、悟りを求める菩提心が湧き上がるのです。

「あぁこの人素敵だなぁ」「こんな人になってみたいなぁ」という思いが

「よし!俺もやろう!」と思いが起きるのです。

その瞬間が自身の種の殻がわれ、発芽した瞬間です。

仏教の言葉に「我逢人(がほうじん)」という言葉があります。

全ては出会いから始まるということです。

じゃあ、素敵な人との出会いがなければ、発芽されないかと言うと、そうではありません。

我々はもうすでに、気づいてないだけで素晴らしいお方がおられるではありませんか。

それが大日如来様です。

目には捉えられないかもしれませんが、我々を優しい眼差しで見つめておられ

優しく包み込んでくださっているのです。

これは目には捉えられないかもしれませんが。

お釈迦様が悟られたのもこうした目には見えない仏様(法身如来)の働きがあったからなのです。

出逢いなくして、偉人は生まれてないとも言えます。

こうして、日本に密教が伝わったのも、弘法様が久米寺で「大日経」との出逢い、唐での恵果和尚との

出逢いのお陰であると言えます。

出逢いは人だけではなく、世の中も変えてしますのです。

それくらい出逢いというものは、重要なのです。

では、「如何に出逢うか」と言うことが思う浮かぶと思いますが

まさか、ぼーっとしていて急に出会えるわけがありません。

自身が求道していく中で、発見するのです。

先ほども申しましたが、すでに圧倒的な素晴らしい方とは出会っているのです。

ですが、それを受信できるほどの器の人はそうはいませんから

現実的には、まずは周りの人や言葉との出逢いから始まっていくのでしょうね。

環境は大事とはよく言ったものです。

だから、善い言葉を発し、善い行動をしましょうと言うのでしょう。

ただ、環境を追い求めていても、どんなに環境が与えられても求道心がなければ

やらないので、やらないから気づかないので出逢えることは無いでしょう。

結局、自身の求道心に委ねられるのですね。

従って、求道心さえあれば、環境云々ではなく、「出逢う」のです。

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