住職の日記

凄い確率

亀がもう出てきました。

そういえば暦の上ではすでに夏ですもんね。

頑張って卵を産んでほしいです。

何かいろいろな命が動き出したなぁと感じます。

…ことわざに「盲亀浮木に値あう」とありますが、「百年に一度海上にあがる盲目の亀が

たまたま海上を漂っている流木の穴の中にすっぽりはまる」という阿含経というお経の中の話を

元に作られた寓話であるのですが、「それくらい「稀」なことで有る」という事を意味したことわざです。

我々は得難い一生を得て、この世に生を授かり、尚且つ仏法という教えに出会えたのです。

これは、百年に一度、しかも盲目である亀がたまたま海上を流れている木の穴にハマるくらい

確率は低いことです。

ですから、我々はそれだけでとてつもない幸福を得ているのです。

ですが、それに気付かず、お金だ、名誉だ、と何かを求めて貪り、得ることができなければ怒り

悪業を重ね、地獄と化すのです。

それは何もかも、無智が招くことであります。

無智とは知識が無いことではありません、智慧がない状態であります。

ですから、「○○があるから幸福」「○○だから幸福になる」という事

偏った価値観によって、折角の大切な時間を逃すことになるのです。

密教の価値観では生まれる前は闇、そして死後も闇であります。

実は、光を浴びるのはこの数十年という少ない時間なのです。

ですから、そんな限り有る時間を、そうした妄執によって遮られることは

凄いロスなのです。

とは言うものの、様々情報が飛び交い、いろんな価値観を持つ人と生活を共にします。

それによって、心体が俗気を帯びてしまい、疲弊してしまうのです。

そうした、苦海を渡るためにも、時間をロスしないためにも、こうした仏法が灯となるのです。

法と出会える事が本当の幸福だということですね。

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