住職の日記

便利や楽ばかり求めると…

便利や楽ばかりを求めると…

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公園の中は自然に囲まれていて、とても気持ちがいいです。

ここ数日いい天気が続きますね。

行楽シーズンでもありますので、楽しんでくださいね。

さて、こうして森の中で自然に浸っていますと、様々な命を感じます。

この木の枝に付いている葉それぞれ、一つの命ですし、様々な鳥の鳴き声が聞こえたり

(そういえば、カモも帰ってきてくれました)

地面もよーく見れば、アリをはじめ様々な小さな虫が動いているのです。

その中にポツンと私一人でいると(犬もいますが)一つ思うのですが

みんなそれぞれ動いているんですね。

この無秩序に見える自然の世界の中でも、確実に「縁起の法則」や「弱肉強食」や「無常」という

真理が流れ、皆それに従い、謙虚に動いているんですよね。

気づかないというか忘れているのは我々人だけかもしれませんね。

それを忘れているから、働けなくなるんですね。

人が動くと書いて「働く」でありますが、これは人が動くではなくて

人が誰かの為に動いて初めて「働く」が成り立つのです。

ですが、我々人は良くも悪くも好き嫌いという感情があり

そして、法律もありますので、自然界のように本能のままに動くことなんて

許されません。

ですから、ストレスが溜まるのです。

従って、ストレスを溜めないためには、何と言っても「好きなこと」をすることが大切なのです。

「好きなことをする」と言っても、条件付きで、まず法律に触れないこと、

そして、家族や周りの人の迷惑にならないことという条件であります。

それに、触れなければ、どんなことでもしてもいいのです。

ただ、いくら好きなことでも、誰にも評価してもらえないことは継続不可能です。

自分という存在は誰かに認識されて初めて成立するのです。

つまり、自分という存在は本来無い、縁によって作られているという

「縁起の法則」ですね。

自分という存在はどうして成り立つのか?ということを考えると、当然「すべきこと」が浮き彫りに

なってきます。

…しかし、いくら「すべきこと」でもできないことは絶対できません。

そして、すべき事の中で自分が「できること」をチョイスすることが大切です。

ですが、「今すべきことで、できること」でも「したいこと」でなければ

継続は難しいです。

我々が安心を得られる境地は、方便究竟ですので、行いの継続の中に有るのです。

ですから、「今すべきことで、できること」の中から「したいこと」にと

サーチをかけて行くと、くっきり方便が浮かんできますね。

…いろいろ制限があるので、「鳥は自由でいいなぁ」と思われるかもしれませんが

気持ちはわかりますが、鳥は鳥で、自然界には弱肉強食の苦があったりするので、

結局生きることに「苦」は付きまとうのでしょう。

自由は不自由でもあります。

我々人はいろいろと不自由ですが、限られたその中からいろんな道を選択する自由を

得てもいます。

いずれにしても、「鳥みたいに羽ばたいて幸せになりたい」と思うのなら、人である以上

自らに備わっている行いを全うする他ないと思うのです。

我々人がこの世で虚空(仏の世界)に冥合しようと思うなら、それしか方法は無いのです。

それ以外に安心を求めても、失ったり、裏切られたり、して善いか悪いかは別として

継続できませんね。

ですから、こうして自然に触れ、この世に流れる命を肌で感じることが大切だと思うのです。

弘法様が若かりし頃、山岳修行をなされ、自然に触れたことによって

大きな器が備わったと言われます。

でも、今は近代化に伴い自然と触れる機会が少なくなり、そうした機会を失っているかもしれませんね。

世の中が便利になればなるほど、それと比例して苦も増加傾向に有ると思います。

そして、人は苦を無くすために、もっともっと便利を楽を求め出します。

そうすると、弾けるまで終わりませんね。

そうならない為にも、根本を見直し、正すことの方が大切なのです。

つまり、人生をかけても惜しくない「行」を見つけることが

最高の幸福と言えるでしょう。

ですから、今はある意味不便で不幸の時代かもしれませんね。

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