住職の日記

供養は互いを思いやること

供養は互いを思いやること

つばめが玄関の前の電線に並んでいます。

計7羽です。

さて、我々人間が豊かな世界、または豊かな生活を送るためには、互いに思いやらなければなりません。

その為には、互いの違いを認められる謙虚な心がなければなりません。

以前Twitterで回ってきた情報なのですが「とある刑務所の98%にあたる受刑者が幼少時にお墓参りをしていない」との事です。

刑務所に服役しているという事は、何らかの形で他人に迷惑をかけたわけです。

つまり、自己中心で他人への思いやりがかけた末路でしょう。

仏教には「相互供養」という言葉があるのですが、お互いに供養する事が大切です。

お墓詣りというと、ご先祖様や、世話になった両親などを供養し祈る事です。

祈るという事は、相手の事を思っているので、自然に「相手を思いやる心」が養うのです。

供養をするという事は、実は自然に自分自身も供養している事になるのです。

そうすることにより、相手の立場になって物が考えられる人になるという事です。

この心を皆持てば、それぞれが他人を思いやることのできる、「仏の世界」が出現するのです。

この世の全ての物は、「空」で実体がありません。

したがって、後は自分たちがどのように意味を持たすか?であります。

他の違いを認めず、戦い続けて修羅の世界を作るのも、生きながらにして苦しみ続ける地獄の世界ににするのも自分次第という事です。

ですが、そんな事を心の底から望んでいる人なんていないはずです。

一度っきりの人生を、そんな世界にしたくはないです。

ですから、謙虚になり他の存在を認める事が大切になります。

その為には普段の「供養」からお互いを思いやる心を学び、客観的に自分を見れて、そして相手の立場になって物事を考えられる人になりましょう。

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