住職の日記

仏法で束ねる

仏法で束ねる

つばめが電線に止まっています。

遠いところご苦労さまです。

さて、我々は元は一つの命で、認識によって分かれいるように思いますが、元来一つであります。

しかし、それぞれに唯一無二の個性を持っていて、一人一人それぞれ「違う」という面もあります。

例えば、今桜が咲き出してますが、他にも綺麗に咲いている花はあるわけで、この境内という世界で

それぞれ違う花が共存しているのです。

もっと言うと、同じ枝から咲いている花は一つ一つ別の命の花で、同じように見えて「違う」のです。

同じ世界でも、同じように見えても、それぞれ違う。

けれども、全ては一体なのです。

ですが、価値観が偏れば、大きいとか、歴史が古いということだけで優劣をつけ出したりすることがあります。

そうすれば、その世界は争いごとが起き、穏やかな時は流れません。

そして、いろんな意味で貧しくなって行きます。

そこで、仏法に帰依することが大切になるのです。

この法の前では、違いはありますが、全てに個性は平等に与えられているのです。

そこに優劣は存在しないのです。

よって、いろんな個性を持った存在が、互いに影響し合いながらも

それぞれの与えられた命(方便)を全うし、それぞれが輝くのです。

この「一体」と「違い」が転倒してしまうと、すべてが一緒だと思ったり、違いを認められず

争いごとが起きたり、逆に一緒なことで安心したりと、とてもではありませんが良い世界ではありませんね。

ですが、わりと会や組織を運営していく上でこういった価値観を持っている人よく見受けられます。

従って、その違いを束ねるために法に帰依し、御佛の前では平等であるという共通認識が必要になるのです。

その法が船となり、違っても共栄し共存ができサンガ(集団)が生まれ、皆で目的地へたどり着くことが出来るのです。

みなさんもよく行かれると思いますが、イオン。

その看板の文字に「200の専門店」と書いてあって面白いなぁと思いました。

私達が理想とする世界は、これではないでしょうか?

あの建物の中に200もの個性を持った店が出店していて、先ほど申しましたように

混ざり、影響しながらも、それぞれが日々の商いに精進しているのです。

これだけの個性を発揮すれば、例えば4人家族で訪れた際に、お父様はゴルフ、お母様は本

おねえちゃんは洋服、お兄ちゃんはおもちゃ、映画を見た後は食事をして

夕飯の食品を買って帰宅するというそれぞれの欲求に対応できるのです。

ゴルフショップに家族四人で訪れる事は中々無いでしょうしね。

ですから、自分の個性で補えない事を、他の誰かに補ってもらう、正に尽くし合う世界なのです。

我々は口々に尽くし合う事が大切と言っておきながら、「自分が優勢だ」と他のことを否定したり

違いを認めることをしなかったりします。

ですが、中々自分一人だけで、多くの人の利益に貢献できる事は難しいのです。

そうした考えは自他共に貧しくそしてつまらなくしていることだと自覚しときましょう。

我々は広く広く俯瞰的に見れば、宇宙(御佛)という世界の中に存在する一つの個性にしか

過ぎないのです。

豊かな生活が送りたいのなら、自分の体にも曼荼羅(仏の世界)を反映させましょう。

そして、仏法を持って統理し、皆で彼岸へ渡るための遊覧船を作りましょう。

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