住職の日記

今は桃の収穫期?

今は桃の収穫期?

西王母が雨に濡れて綺麗です。

西王母とは孫悟空の話にも出てきますが、中国の崑崙(こんろん)山という仙境に住む

仙女の事を言います。

古くは人の非業の死を司る死神であったのですが、中国で道教が完成すると、反対に長寿の神様と崇められ

不老不死の仙桃を持つ、美しい天の仙女へと変貌したのです。

この花は形が、桃に似ていることから、西王母と呼ばれるようになったそうです。

桃は中国では特別視されていて、魔除けや不老長寿のシンボルとされ縁起のいいものとされています。

こうした、我々にとって「悪い」神様が、災厄などを払う尊格になる事は我々の周りにも多いですね。

例えば、大黒様なんていうのはそうですね、その前身は破壊の神でインド密教に取り込まれて

大黒天(大暗黒天)と呼ばれ、仏法を守護する神(天)になったのです。

今では七福神に取り込まれ、商売繁盛の神様で皆に親しまれています。

他にも、豊川稲荷などに祀られている、荼枳尼天(だきにてん)や閻魔様もそうですね。

皆、怖い部分、影の部分を持っています。

しかし、人々はこうした尊格への畏怖の念から丁寧に接すれば、ご利益があると

自然に謙虚になり、仏の道へ導かれて、正しい道に引き込まれていったのですね。

ただ、これらすべての尊格は大日如来が変化したお姿であり、仏様その物なのです。

仏様は相手に合わせて、お姿や説法の仕方を変えるのです。

というように、こうした矛盾のままに人々を仏の世界に誘う事が密教はできるのですね。

光と影が混在のままに向こう岸へ連れて行く、そんな教えなのです。

今は暦の上では秋ですが、日中は暑いですし、まだ夏の花も咲いていたりと秋とも断言できないし

夏とも言えない、そんな時期であるともうのです。

まさに、夏と秋が入り混じる混沌の時期であるといえると思うのです。

そして、「混沌」から生み出された物は非常に多く、密教や東洋文化などは、混沌であったというよりも

今も混沌であるといえると思うのです。

その一番の例が我々「日本人」ですね。

正月は神社、葬式はお寺、結婚式はチャペルに、クリスマスに、お雛さん…等々

そして最近では、ハロウィン。

日本の文化は?と聞かれて、これですと統一は不可能でしょうね。

つまり、日本は混沌なのです。

混沌こそ日本の文化と言っても過言ではありません。

ですが、それは日本にはやおろずの神々がおられたように、密教の曼荼羅に様々尊格がおられるように

その「混沌」こそある意味自然ではないでしょうか?

まぁあまりにもぐちゃぐちゃではどうにもならないから、区別は必要ですが

ここで、西洋的にすべてを分析をすると苦を生じる原因となる事は言うまでもありませんね。

ですが、混沌の日本は次から次へと新しい文化を吸収しては、新しい物を生み出しています。

古事記の「国生み」の話では、伊邪那岐と伊邪那美は天浮橋に立ち、矛で渾沌とした大地をかき混ぜ

このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)つまり日本列島となったのです。

日本は正に混沌の中から生まれたのです。

今は一説には5000年に一度の変革期だと言われています。

周りは、ありとあらゆる物、情報に囲まれ、あれは持っているけどあれは持ってない人、

これはやっているけど、あれはやってない人など、人も多種多様になていて、正に混沌としています。

そんな時期は不安も当然のことながらあるのですが、反対に素晴らしい物ができたり、

素晴らしい世界に到達できる、絶好の機会でもあると思うのです。

何故なら、密教や日本をはじめ、すばらしいものは常に混沌の中から生まれているからです。

こうして、夏と秋が入り混じる時期に、西王母の花が咲いているのを見ると

何かの変革の兆しがあるのかと感じるのです。

また、西王母の桃は三千年に一度収穫出来るそうです。

そして、西王母が住む崑崙山を混沌とも言うそうです。

今が何千年に一度の改革期というならば、その幻の桃の

収穫期と同期しているともいえるかもしれません。

ただ、こうした、混沌とした時代だからこそ、そうした変化の波の影響を受けない

仏法を頼りにして、矛盾を含んだまま、自分の「行い」をしていきましょう。

そんな時代に、我欲のままに進んだり、主体性が無いまま周りを頼りにすると

一気に流されてしまう、危険な時期であるのです。

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