住職の日記

今ここにある

今ここにある

孵った燕たちが何やら集まってヒソヒソ話しております。

これからどのようにして南国に帰るか、相談しているのでしょうか?

ツバメの寿命は約1年半と言いますから、親鳥とはもう会えないでしょう。

さて、「一期一会」と言いますが一生のことを一期と言います。

つまり、一生に一回会うという意味です。

一期一会と言うと初対面の人に対して使われる言葉に聞こえますが、毎日顔を合わせる家族にも

それは言えます。

今日、その状況、その一瞬は二度と帰ってきません。

つまり、出会いと別れの積み重ねが、人生となるのです。

仏教に「生死一如」と言う言葉がありますが、生と死、つまり出会いと別れは一緒であるということです。

従って、どちらか一方だけに目を取られると、真実がぼやけてしまうということですね。

どうでしょう、今目の前にある出会いをちゃんと認識できていますでしょうか?

逆にその裏の別れを認識しているでしょうか?

そして、その裏の出会いが認識できているでしょうか?

今は自分のネットの浸透や娯楽が増え、いつでも自分の好きな世界に浸ったり、好きなことをして過ごせる

時代かもしれません。

それはとても素晴らしいことです。

しかし、それによってぼやけていくものもあるのでしょう。

この世界の真実から目を逸らして、真の幸せにたどり着くのでしょうか?

それがぼやけると、もっともっとと欲だけが膨らんで、苦しい状態が続くのではないでしょうか?

そして、「生」「死」どちらかしか認識できていない状態は、今を生きているとは言えません。

それでは「勿体無い」ですよね?

ということは、知らず知らずのうちに、自他共に無慈悲な殺生をしていることになるのです。

苦の解決はいつの時代も文明の発展にはなく、この世の真理に沿って生きていくことなのです。

それを忘れて狂わない為に、心の点検が必要になり、その方法が仏法になるのです。

電線に止まって出立つの時を迎えたつばめを見て、「命は今ここにある」と再認識出来たのです。

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