住職の日記

人間だもの…

人間だもの…

近所の方からいちごを頂きました。

すごくいい香りがします。

さて、今日は大変ショッキングな出来事がありました。

それはNBAのプレーオフで私が応援するサンアントニオ・スパーズが一回戦で敗退したのです。

昨年は見事優勝したのですが、まぁ世界最高のバスケットリーグですから

中々連覇は難しいのですが、、、それにしても悲しいです。

しかし、NBAというリーグを見ると、本当に「常に」動きがあります。

まず、これはアメリカのプロスポーツ全体に言えることもありますが選手の移籍です。

本当に移り変わりが早く、当然その移籍でチームが変わっていきます。

そして、その影響により、昨年まで優勝候補だったチームがいきなり

ドアマット(弱いチーム)になってしまったりもするので、目が離せません。

と同時に、無常って怖いなと再確認します。

我々は、刹那の快楽や漠然とした未来、過去の出来事に気を取られ、「今」という時を

生きてないことがあります。

それでは、無常の風に煽られてしまい、大変悲惨な思いをしてしまいます。

ただ、そうは言っても過去を悔いるのも、未来を不安に思うのも喜びに浸るのも我々人間の心情なので、

それはある意味仕方ないかも知れません。

しかし、時間は有限でもあるのです。

これを自覚した上ならまだしも、知らないのでは大変問題です。

どんなに美しい花もいつかは萎れ、地に落ちていく日が来るのです。

そう思うと、「良い時」と言われるものは先ほど申しました一瞬の快楽に似ていて

俯瞰的に見れば「良い」と「悪い」は同じというか、そこに分別は無いのです。

つまり、良い時も悪い時もあるもんだとということを覚悟しておき接することが

穏やかに生きていく為には必要なのです。

人だって、「常」に明るいって変ですよね?

大切な人が亡くなったり、誰かに傷つけられたりしたら、悲しいでしょ?

それこそ無常の世を生きているのだから、それは免れないのですから。

常に明るいも、その逆に常に悲しいも、変です。

従って、傍にいる人が悲しんでいたら、自身も一緒にしんみりして

逆に喜ぶときは一緒に喜びを分かちあう事が、「無常」と言った正論を振りかざすことより

大切なことなんでしょう。

ただ、何度も申しますが、有限だと自覚があった上でですけど。

こうしたスポーツチームのファンと言うのはどこかに「常に強いチーム」を求める事があります。

しかし、プロと言えども人が行うことなので、それは殆どありえないでしょう。

よく言われるのは強い時も弱い時も応援できるのが真のファンだと言います。

よってそうした強い弱いの判断を超越するくらい、そのチームが好きになり思いやれるか?でしょうね。

まぁ殆どの人はそうでは無いでしょうが。

ここにサンアントニオ・スパーズのヘッドコーチのポポヴィッチさんの

記事があります。→ここ

ポポヴィッチさんが連覇を選手に無理強いしない理由というのが、よく伝わりますよね。

選手と言うか人と言う物をよく理解していて、そして選手の事を誰よりも大切に思っているから

そう言えるのでしょう。

非常に厳しいコーチなので、てっきり連覇だと発破をかけるのかと思いましたが

本当にそうした選手の心のケアまで気を配る、慈悲深い優しい一面もあるのですね。

もちろん、いつまでも浮かれていたら雷が落ちるでしょうが…。

ということで、無常を理解して生きていくということは、そうした波がそれぞれの

状況によってあるのだから、それに苛立つ事なく、もちろん片方では時間を気にしながらですが

合わせて生きていく事が、一番穏やか道となるのでしょう。

そして、チームでも人でも何でもそうですが、そうした無常を理解をして

その人の状況状況に合わせて、菩薩のごとく寄り添って行くことが、真の思いやりです。

先ほどの様に「強いチーム」「完璧な人間」を求める気持ちはわかりますが

ずっとその状態なんて、この無常の世ではありえません。

正論がイコール正義ではないのです。

正論でどうにかするなんて、思いやりでも何でもなく、単なる要求なのです。

ただ、再三申しますが、そうした時間の有限を忘れないようにですが。

最後にサンアントニオ・スパーズの選手の皆さん今シーンズンも楽しませて頂き

感謝申し上げます。

来年も楽しみにしております。

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