来年の節分祭へ向けて奉賛会の会議を行いました。
地域の人が如何に楽しんでもらえるか話し合いました。
…基本的に仕事は自分以外の誰かの為に仕事をしています。
自分以外の利益に貢献して、そこで金銭や物と交換がなされ
仕事が成り立ちます。
これが資本主義の世界の相(すがた)であります。
…しかし、こうした奉賛会の活動は、こうした資本主義の価値観から言ったら
理解できないでしょう。
実際行う人はなんの見返りもなく行うのですから。
せいぜい、みんなが喜んでくれたらという位のものでしょう。
しかも、大変な仕事であります。
それでも、地域の為にと行う皆様の姿にただただ頭が下がる思い出あります。
…「この世は金が全てだ」と言い切る人がいますが、それは当てはまらないと思います。
「地域の人が喜ぶ為」と実際にこうして、存在してるのですから。
原動力はその「思い」だけであります。
この資本主義の価値観が蔓延し、それに支配された世界でこうした活動する姿は
泥中の蓮を思い浮かべます。
今確かに、戦争や天災など(劫濁 こうじょく)発生したり、偏った考えが
蔓延して息苦しくなったり(見濁 けんじょく)、利便性を追求するあまり体に悪い食べ物が
広まって人々の命を脅かされたり(命濁 みょうじょく)、自分の為だけに動いて心が痛む事件が横行したり
(煩悩濁 ぼんのうじょく)して、その濁流に我々の心が傷つき、その結果我々の士気が下がる(衆生濁)という
五濁が渦巻く苦の世界かもしれません。
しかし、こうした「人の喜ぶ為」という思いが少しでもあれば、濁流の上でも
花が咲くことができるのです。
そして、蓮の花は花果同時と申しますように、実も同時になります。
こうした、思いが誰かの心に落ちて、それをまた誰かに返して
脈々と繋がっていき、いろんな色の花で囲まれる世界が理想ですね。
いずれにせよ、このご時世に、皆様には、誠に頭が下がる思いであります。