住職の日記

五感に訴える物は大切だが…

五感に訴える物は大切だが…

雨上がりのハマボウ。

黄色い花が綺麗です。

気付けばアジサイの時期も過ぎ、もう夏の花の時期です。

本当に、時の移り変わりは早いですね。

さて、この世は無常の暴風が吹き荒れている、そんな世界でもあります。

健康な体も、年齢とともに確実に衰えていき、何かを築き上げても、名誉を得ても、無常の暴風の前ではあっという間に吹き飛ばされてしまいます。

この世はそんな儚い世界でもあると、自覚することが大切です。

「じゃあ何しても意味ないじゃん」と自暴自棄になりかけてしまいそうですが、そうではありません。

この世のすべての物は、その実体がなく、例えるならサラサラの砂のようなものなのです。

僅かな水分によって、形を成しているにすぎないのです。

しかし、裏を返せばそれがとても重要なのです。

「五感に訴える物に、惑わされてはいけない」と言いますが、実際人を導く物も五感であります。

仏教には「方便」という言葉がありますが、人を正しい教えに導く為にとる便宜的な手段であります。

「信は荘厳から」と申す通り、人を正しい道に導く為には

五感に訴える物をすごく大切にしなければなりません。

人の心を透視できる人は良いですが、大半の人はそんな物は見えませんから、五感を頼りに捉える事がほとんどです。

インドでは「ナマステ」と言って、合掌をしますが、これは「私は信心がありますよ」とその人の心を表現しているのです。

したがって、自分が思っている事を相手に伝えたいなら、そのように表現し伝えることが大切になります。

「そんな事しなくてもわかるよ」「私はこう思っていました」と言っても、それがきちんと相手に伝わらなかったら

存在しないと一緒なのです。

残酷かもしれませんが、無常の世においてはそれが普通なのです。

全ては実体のない世界なのだから、後は自分でわかりやすくしてあげなければ、人の心には届きません。

話は変わりますが「仏」とは真理を体現した方です。

つまり、この世の真理を心に写し、それを行動、言葉に実際に表現しているのです。

したがって、仏教の知識があっても、真理を知っていても、それを体現出来なければ、無いに等しいのです。

それくらい、分かりやすく伝える事が大切なのです。

ですが、これらはあくまでも「手段」です。

この手段が目的になると、本末転倒で、肝心の目的を失えばそれこそ姿形だけの意味が無い物に変わります。

つまり、形骸化するという事です。

したがって、最初の姿、本来の目的を失わない様にしなければなりませんね。

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