カモは冬場の間日本に来るのですが、夏場の間いた北国では
湖が凍ってしまい、餌が取れないので、日本に渡ってくるそうです。
我々がブルブル凍える、この冬の寒さもカモにとってはちょうどいいそうです。
うーん、ちょうどいいと言う基準はそれぞれなんだなぁと改めて感じます。
…「学ぶは真似る」と申しますが、真似をして、例えそれなりになったとしても
それがイコール自分の真の幸福かどうかはわかりません。
何故なら、その人はその生き方がちょうどよくて心が穏やかになるのですが
「自分はちょっと物足りない」と感じたり反対に「もっとゆったりする時間がほしい」と
思ったりして、必ずその真似ぶ生き方がその人の「中道(心が穏やかになる道)」ってことでは
無いからです。
ですから、最後は自分で自分の幸せの基準を決めなければいけません。
「あの人は○○したのに自分はできないからダメ」反対に「あの人悲惨だなぁ、自分は良かった」
と何かを見上げて不足を感じたり、何かを見下げて足るを知ることは有るかもしれませんが
…それはとても、不安定で、今日は何か優越感を感じて一時の幸せに溺れているかもしれないが
明日には友達の自慢話を聞いて、自分は世界で一番不幸だと悩んでいるかもしれません。
こんな心の不安な状態では、中々本当の幸せを得ることはできないでしょう。
…そこで、「足るを知る」となると思うのですが、私はそれは何かの修行しているという
前提ありきだと思っています。
それが無ければお金があろうと無かろうと、永遠に足りることはないのです。
つまり、我々は本当はその行いに必要な物やお金を欲しているのであって
その物やお金だけを求めているのでは本当は無いのです。
ですが、そこに本当の幸せが有ると信じてやまないのですが、
厄介な事にその欲望は際限がありません。
ですから、自分は何をしている時に、「生老病死」を忘れられるくらい夢中になれるのか?
「宝は道心なり」と申しますように、それこそ、お宝だと思うのです。
ですが、何でもかんでもそんなものが気づけている人はいないと思うので
最初は徹底的に「真似る事」が大切になると思います。
「守・破・離」と申しますように、最初は自分の意志云々関係なく習い
徐々に型を破っていき、独立していくという事が現実的でしょう。
「自分の好きな事」とは聞こえはいいのですが、それは「自分が楽しい方に」と流れやすくもあります。
ですから、自分の好きな事だけでは中々本当の「お宝」には出会いにくいと思います。
従って、自分の意志とは関係なく様々な物を受け入れて、それを自分なりに編集
していき、中道の道を作っていく事が大切でしょう。
結局、謙虚であればあるほど、様々な物を受け入れられて、選択肢もたくさんあり
素晴らしい道が出来上がるのでしょう。
だから、「足るを知る」って何かをしているから足りるのです。
そういえば、何もしてない人こそ愚痴や不平不満を言ってますしね。
…「でも誰から真似ればいいかわからない」と仰られるかもしれませんが
直ぐ側に仏様がいるではないですか。
仏様のように、言葉と行動と心を真似ることです。
その3つはきついなぁと感じたら、どれか一つだけでもいいです。
とりあえず「今」できることからチャレンジして自分の本当のお宝を探しましょう。