住職の日記

デトックス

デトックス

石楠花第一号が咲き出しました。

豪華な大きい花が特徴です。

まるで梅雨のような期間でしたが、今日からしばらく晴れが続きそうです。

雨に濡れた花もオツなものですが、やはり晴天の日の花は格別であります。

照らされる物が全ていきいきとし、力がみなぎりますね。

さて、我々の身をおく世界は言うまでもなく資本主義の社会であります。

つまり、「それは何の価値があるの?」という価値と価値の交換が行われる世界であり

我々も知らず知らずのうちに、そのシビアな交換をしているのです。

ですが、その世界だけにどっぷり浸かってしまいますと、対価だけで動く人になってしまい

それはそれで不具合が生じてしまうのです。

何故なら、我々の正体は方便(行動行為)であります。

その方便が錆びついてしまうと、形骸化という悲惨な自体を招いてしまうのです。

形骸化してしまえば、無常の風に晒されてそれでかき消されてしまいます。

そうした、自体を招かないために、今流行の「デトックス」が必要になるのです。

その為に、資本主義の価値観から言ったら何の生産性が無い事かもしれませんが

何かを得るということを目的とするのではなく、その行動行為そのものが目的とする事が

が大切になるのです。

例えば、どんなに忙しくてもお仏壇の前で平和の為に一分間祈るとか、玄関を掃除するとか

毎月写経をするとか、資本主義の価値観から言ったらそんな事している時間があるなら

その時間すら仕事に費やせと言われるかもしれませんが

そうした資本主義目線から言ったら生産性が無い「無駄」が大切になるのです。

その行いをしている最中は、自分でも他人でも無い、一瞬かもしれませんがすべての執着から開放されるのです。

そこが大切で、その一瞬でも離れる事により、心に隙間が生まれ、冷静さを取り戻せたり

物事を俯瞰的に捉えることが出来るのです。

そうすれば、仕事でも良い結果を残せたりして、仕事でも良い影響を及ぼすのです。

我々は、この切替が非常に大切になり、この2つの世界を行き来することが大切になるのです。

我々はどうしても、仕事をする上では対価という事を考えなければいけませんが

先程申しましたように、それに囚われてしまうと、方便が錆びついてしまい

そのサビが我々の命を蝕んでいくのです。

だからこそ、その錆取り(デトックス)を定期的に行わなければならないのです。

車を定期的に検査するように、我々も心の点検が必要になるのです。

その洗浄が、「見返りのない方便」なのです。

当たり前ですが、いくら見返りが無いからといえ、真剣でなければなりません。

遊びも仕事も真剣に取り組むことが大切になるのです。

「遊びも仕事」とはよく言ったものです。

この2つの切り替えが出来る人は、活き活きとしている方ばかりです。

遊び上手は仕事上手とも言いますしね。

ということは資本主義の価値観から言ったら

方便そのものが目的の行為は「生産性なし」という位置づけは当てはまらないのです。

実はそうした生産性を上げる為にはとても大切なことなんです。

対価を計算する世界に身をおいている以上、こうした対になる世界も大切にし

その世界をしっかり遊覧して、心体を癒やし、デトックスしリフレッシュし

仕事をいい状態で取り組みましょう。

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