住職の日記

ツワブキ咲き出しました

ツワブキ咲き出しました

つわぶきの花が咲き出しました。

黄色い花が鮮やかでいいですね。

今日は風がなかった分過ごしやすかったですね。

しかし、日が陰ると寒くなるので要注意です。

天気予報によると明日の朝は名古屋5℃です。

気を付けましょう。

さて、これから益々寒さ厳しくなってきますね。

しかし、その反面こうしたツワブキの様な花がより美しさが際立ちます。

勿論、過ごしやすい季節の花が綺麗でないわけではないのですが、

より美しく目に映るのです。

こうした寒さに耐え忍び、可憐に花を咲かせる姿は、美しいだけでなく、その健気な姿が

我々に勇気を与えてくれます。

我々を悲しませたり苦しませたりするものは間違いなく「無常」です。

しかし、その反対に我々を幸福にしていくれるのも無常なのです。

こうした花が美しいのは命に限りがあるという無常の自覚があるからこそ、創造されるのです。

「死は生を深める」ともいい、無常を自覚する事は大切なのです。

その反対に「死を忘れると生がぼやける」とも言います。

死と言うのは誰だって遠ざけたい事実です。

しかし、この無常の世界で老病死から免れられる生物は存在しないのです。

従って、その事実を逃げずに受け止める事が、幸福への第一歩なのです。

我々が身を置く世界は、そういった不条理とも思える事実との共存を余儀なくされる

事が多々存在するのです。

それが、全ての存在を含む我々が身を置く世界、密厳浄土の姿なのです。

仏教を開かれたお釈迦様は「人生は苦なり」と申されています。

従って無常による「老病死」といった苦しみはあるものだと自覚することが

何よりも大切なのです。

それを考えまいとして、楽しい事ばかりと求めていると、その時はそれでいいかもしれませんが

本当に実際に無常の鬼を目の前にした際に、本当に楽しんでいられるのでしょうか?

恐らく、ちゃんと生きていればよかったと、後悔する事でしょう。

つまり、無常を自覚しないと「夢想」と言って、まるで夢の中で生きている様になるのです。

しかし、無常を考えまいとしようとしたって、一瞬のまやかしにしか過ぎないのです。

ですから、苦はあるものと覚悟したうえで生きて行けば、今生きている事が幸せであると感じる事が出来るのです。

我々は幸せになる為に生きるという人がいますが、そういう人はどこ行っても幸せにならないのでしょう。

先程申しました、無常と言う自覚がないと、夢の中で青い鳥を追い続ける事で貴重な時間を消費する事になります。

そうならない為には「無常」という一見不条理な事を受け入れる事が大切になるのです。

そうすれば、今生きる事が何よりの幸福なのだと感じれ、幸せでいられる時間を増やせるのです。

いつでも幸せでいられる人は花の様に美しく、その姿は紛れもなく仏なのです。

いちばん上に戻る