住職の日記

ススキvsセイタカアワダチソウ

ススキvsセイタカアワダチソウ

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セイタカアワダチソウの花が綺麗ですね。

ススキと並んで、この時期秋の田道の風物詩です。

花の観賞用に萩が切り取れるので、代萩と楽しまれたり

丈夫な茎をすだれにもするそうです。

そういや、めちゃくちゃ硬いもんなぁ。

…しかし、このセイタカアワダチソウはこの美しい花とは裏腹に、実は自然界では

「厄介者」とされているそうで、生命力が強く(一つの花に5万個の種があり)

また、生命力が強いだけでなく、他の植物を枯らす毒も持っているのです。

従って、しばらくすると、その土壌がセイタカアワダチソウに占領されるなんてこともあるのです。

しかし、この毒があり排他的な性質が故、自分自身も毒が巡り、自身も枯らしてしまうのです。

また、この栄養となっていた地下50センチに生息していたネズミやもぐらなどが駆除されだし

一時猛威を振るったその勢力はかなり衰えて来たとされています。

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そこで、一時セイタカアワダチソウに押されていたススキの出番です。

セイタカアワダチソウによって毒を撒かれた土壌をススキが解毒し、再び健康な土壌に戻すのです。

今の現状はススキ優先という感じだそうです。

…今はグローバルな時代と言われていますが、何もそれは人だけでなくて

こうした日本に生息する花木も元を探れば、外国から伝わったが非常に多いです。

日本の象徴の菊でさえ、元は中国なのですから。

日本は、世界の縮図といっていいほど、グローバル国なのです。

このセイタカアワダチソウは元は北米から明治頃に伝わったそうですが

こうした自然界を見るとこのグローバル社会を生きるお作法がわかるように思います。

それは「排他的なものは繁栄しない」と言うことです。

当たり前ですが、他の地の文化は我々人がそれぞれ違うように、違うのです。

それは違うだけで、優劣は無いのです。

それを、違うから、排除するという排他的なグローバリゼーションを展開すれば

セイタカアワダチソウの様に、いつかは自滅するのではないでしょうか?

日本ではキリスト教が普及しなかったと言われているのは、幕府側がそれを政策として

止めたということもありますが、日本の土着的な信仰に対して排他的であったということが

一つの要因であります。

反対に日本津々浦々浸透した仏教集団は、こうした元からあった儀礼信仰を否定せず

むしろ呑み込んで行き、神と習合までしたのです。

グローバルという事を誤解すると、他の地域、他の人に自分の価値観を押し付けるという

意味で捉えがちですが、それではただの侵略に他ならないのです。

ですから、グローバル社会にあるべき姿として、習合するかしないかは別として

排他的にならないというのが絶対条件なのです。

願わくは習合が理想ですが、習い合うですから、その為には謙虚でなければいけません。

と思うと日本は元からグローバル国と言っても過言では無いでしょう。

すべてブラックホールの様に呑み込んでいき、そして面白いのが

組み合わせたり、編集したりして、オリジナルにしてしまう。

押し付けあう、グローバルはやめて、日本を見習い、新しい物を自分たちの文化に取り込み

また新しい地に行く側も、謙虚にその地に伝わる文化に敬意を払い、行き来したいですね。

国境に境目はありませんが、人々が大切にしている思い(境)はあるので

それは大切にしなければなりませんね。

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