住職の日記

どっちか決めつけるなら、忘れましょう

どっちか決めつけるなら、忘れましょう

初夏の山法師がきれいです。

この新緑を潜り抜ける風が爽快です。

さて、「善か悪か」「愛しているか、愛していないか」「かっこいいか、かっこ悪い」我々はこの二者択一の判断をすることが多いです。

相対的な意見をどちらかをすっぱりと選び白黒つける事ははっきりしていると言えばそうですが、これで心の安心が得られるかと言えばそうではありません。

何故ならこの世の真理に反しているからです。

我々は仏さんにお参りをする際に合掌をします。

右手は清浄の手、左手は不浄の手、それらを仏様の前で合わせるのです。

それがこの世の真理で、我々の心でもあるのです。

そして、仏さんは善悪区別しません。

仏さんですらしない事を、なぜ我々人間が善悪決めつける必要があるのでしょうか?

仏教には「両忘」という言葉があります。

これは、「善か悪か」「愛しているか、愛していないか」「かっこいいか、かっこ悪い」などの二元的な考えをしない事です。

それらのこだわりを捨て、または両方を合わすことによって、「そのどちらか」ではない新たな世界が生まれるのです。

そこは、何かに偏ることなく、物事を捉える事ができ、心の安らぎが得られる世界であります。

光があれば影があるように、良い所があり、悪い所がある、そんな風に全体で物事を捉える事が出来るのです。

良いか?悪か?と決めつけたがるから、心はいつまでたっても穏やかにならないのです。

大事な事は、我々はこの世に幸せになるために生まれてきたのです。

その為には心が穏やかでなければ、幸福は感じ取れません。

そのことを忘れて、黒か?白か?と決めつける世界に身を置くことは、その時どちらかを選んだとしても

何度も、白黒つける場面に遭遇しますので、たどり着く世界は、色々な意味で痩せこけた、寂しい世界です。

忘れることによって、忘れていた大事な世界が待っているのです。

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