住職の日記

それでも向かっている

それでも向かっている

桜の花びらの絨毯。

今日は幸いにも雨があまり降らなかったので、桜が楽しめました。

桜はこうした散り際も美しいですね。

生死(迷い)を超えたものは、虚空と冥合し、心は乱すことは無いのですね。

有漏路(迷いの世界)に存在する我々は本来無いものが有るもの様に見えたり、

有るものが見えなくなったり、「こうすれば幸せだ」「こうすれば不幸だ」と

言い合いをし、それぞれの価値観を押し付け合い、時には争います。

この桜の花ような「美しさ」とは縁遠い世界です。

しかし、それでも仏の世界に向かっているのです。

有名な僧侶の一休禅師の言葉に「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」と

あります。

有漏路(迷いの世界)の対に存在するのが無漏路(悟りの世界)です。

一休禅師は人は迷いの世界に存在した仮の姿であり、すべて空だと悟ったのでしょう。

我々は、迷っていようと、悟っていてもいずれは元の無漏地に還っていくので

その迷いの世界で苦しんでいることも、また大切な悟りへの道中であるということです。

つまり、寄り道(迷うこと)も無駄ではなく、大切なことなんだということでしょう。

寄り道が多い人ほど面白かったりもしますし。

そして、風や雨など苦難はから逃げずに苦はあるものだと、ありのままを受け入れようと

すれば、苦そのものは無くなることは無いかもしれませんが軽微されるのです。

我々はこの仏法と言うものに出会えた事によって、今を否定したり、過去を否定したり

何かの偏った価値観に自分の人生を照らし合わせる必要は無くなり

仏光がすべてを包み込んでくれ、オリジナルの花が生まれるのです。

「桜は桜だ」「君は君だ」

この時期は桜がそう語りかけてくれるのです。

正に仏の囀り。

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