住職の日記

その時だけ謙っても…

その時だけ謙っても…

正月の餅を、油であげて塩をかけて頂きました。

これがとても美味しいのです。

塩を少し多めにかけることがポイントです。

ただしカロリーには気をつけなければ……。

さて、ネットでも「〇〇しなければ不幸になる」という文句の記事を目にすることが有るのですが

その記事の仰せの通り「〇〇した方が良い」でしょうが、「しなければならない」と言う言い方はどうなんだろうなと思います。

「こうしないと、不幸になるぞ」という雲をその人の心に覆うようにして、「唯一の救いの道はこれだ」

という答えの導き出し方は、ちょっとなぁと思います。

我々は闇より生まれ、闇に還っていくのです。

もうお気づきだと思いますが、光を浴ているのは、この数十年という時間だけなのです。

したがって、俯瞰的に観ればいろいろ不平不満は有るでしょうが、

基本中の基本は今生きているだけで

既に幸福なのです。

それを忘れてしまうと、本来の目的を忘れてしまいます。

我々の本来の目的は、心穏やかに与えられた時間を過ごす事であります。

従って、時代がこうだからこうしなければならないと、躍起になってやっても

心が穏やかでありませんから、幸福は感じにくくなります。

それでは、本来の目的を大きくハズレています。

例えば、「悟りを開くために頑張るんだ!!」とか「絶対に幸せになってやる!!」という熱い目標を持っても

悟りは開けないし、本当の幸せも感じにくいのです。

そうした、意気込みの人ほど、「理想と違った」「燃え尽きた」とぷつんと糸が切れやすいですし。

しかし、現実問題としていろいろな物に対応していかなければなりません。

特に仕事をして行くうえでは。

ですが、わざわざ「今不幸なんだ」と否定し、心を雲で覆う必要はないのです。

まぁ不安を感じることによって、行動するというのも一つの手ですが

それって不安定ですよね。

我々が拠り所とすべき仏法とは、上がったり下がったりするものではなく、

普遍的なものであるのですから。

何より周りがたまりません。

従って、常に謙虚さを保つ事が大切になるのです。

尻に火がついて、自分はダメだ…と動き出す人が多いと思いますが

理想としては、尻に火が付く前に行動しておきたいですよね。

それはつまり、常に「謙虚」で居続けられるかですね。

そのためには、やはり方便そのものを目的とした事を、生活の中に取り入れる事です。

そんな中、神棚や仏壇への祈りは、謙虚さを保つためには、うってつけであります。

謙虚さは畏敬の念から生まれますので、

さらに日本は、神社仏閣が多く、環境はとても整っています。

そうした、日々の行いの積み重ねが、体を微細に砕いて本当の謙虚さが

身についていくのでしょうね。

都合が悪くなりその時だけ「へへえ」と謙っても、調子が良くなれば、また元の慢心が戻りだしたりして

元の傲慢な姿に戻るだけです。

急な無理なダイエットと同じですね。

ダイエットも、色々な手法がありますが、食事を無理やり減らしたり

偏った食べ方しても、基本は食生活や生活習慣を見直さなければ

リバウンドするだけです。

だから、妙に自分を不幸にして追い込んだり、幸福だと妙に上げたりするのではなく

謙虚さを身につけ、体質改善をして穏やかに生きていきたいですね。

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