住職の日記

この儚い命を頼りにしても

この儚い命を頼りにしても

暑い日差しの中、真っ赤な百日紅。

皆さまもどうか、暑さ対策ばっちりして、体調を整えてください。

さて、こうして暦の上ではすでに秋を迎え、気付けば八月も半分過ぎました。

なんだかあっという間に過ぎて行ってしまいました。

弘法大師様のお言葉に「徒に秋の葉の風を待つ命を恃んで 空しく朝の露の日を催う形を養う」というお言葉がございます。

我々は秋の風に吹かれ散っていく木葉の様な命を頼みし、日が昇れば消えてしまう朝露のような体を保とうと生きているという事です。

この世は無常であり、徐々にしかし確実に、滅亡に向かっているのです。

従って「だったら、何するか?」という事を弘法様を初め昔の賢人は世間に問うているのです。

偉大な人ほど、この免れる事のない無常を真っ正面から受け止め、生きているのです。

「そんな事考えたくないもん、俺は人生ハッピーで行きます」と真理から目をそむく人ほど

時間を無駄に貪り、気付いたら無常の鬼が目の前に現れているのです。

その時、「後悔してます」「もっとやっておけばよかった」と言っても遅いのです。

この無常の鬼の前では、言い訳は一切通りませんから、あっという間に我々の命を奪っていきます。

この世で一番怖い存在と言っても過言ではないでしょう。

突然ですが、悪いと知らずに行う事と、悪いことを知ってて行う事とどちらがより悪いと思いますか?

恐らく多くの方が、後者の方がより悪いと思いになるでしょう。

しかし、仏教では悪いと知らずに行う方がより悪いのです。

頭の片隅に、悪いという認識が少しでもあれば、踏みとどまることが出来るしその時出来なくても

いつかは踏みとどまるかもしれません。

しかし、悪いという認識がなければ、ノーブレーキのダンプカー状態で、大変な事をしでかすまで、止まる事はありません。

この世は無常だと、認識が薄ければ時間を無駄に消費することは避けられません。

せっかくの得難い一生であります。

本当の幸せに出会う為には、無常の事実を受け止め行動していくことが大切になります。

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