親戚の方に輪島のおみやげで縁賀良まんじゅうをいただきました。
ぱっとみ、カレーご飯かと思いましたが、クチナシで着色されたもち米が
こしあんが包まれた餅の上にまぶされていて、もちもちしていて美味しいです。
えがらは、栗の「いが」が訛ったところから来ているそうです。
そういえば、もうすぐ栗の時期ですね。
…栗と言えば、各地域に「三度栗」「弘法の焼き栗」という栗と弘法様にまつわる話があります。
微妙に違いはありますが、大体は旅をしてお腹を空かしていた弘法様に
子どもたちが栗の接待をして、栗が年に三度なる木になったり、大きくなったり
果報が得られるという話です。
この、「子供」というところが大切だと思われます。
施しも、見返りを求めたものだと、それは施しになりません。
この話の中にも「大人は接待することを断った」とあります。
大人になると、様々な物の分別ができ、経験を積み、識が作り上げられていきます。
しかし、反対にこうした子供のような別け隔てをすること無い純粋な心というものを
無くして行きがちになるのです。
この話の中でも、名の知れない僧を見て、大人はそこから見返りを求めらないと判断し
断ったのでしょう。
これが、弘法さんとわかれば、ここぞとばかりに接待したかもしれませんね。
こうして、あまりにも計算しずぎると、反対に大きな得を逃すことになるということですね。
そして、見返りを求めた施しはそこに執着がありますから、施しになりません。
施しをする時は子供のように、分別の心なく行う事が、その施しを成就する秘訣ですね。
ですから、見返りを求めない施しをするためには、自分のできる範囲内で無理しないことですね。
コツコツとできる修行を重ねて、心を練っていきましょう。