「好き」は重要
お地蔵様や弘法様は雪が降り積もろうとも、その菩薩行をやめません。
…それに比べて、我々は何かと行いの「できない」理由を探し、なすべきことを
なさない事が多々あります。
しかし、それは実際はしたくないからしないと言うことが本音だと思います。
何故なら、自分の好きな事は誰にも強制されずに、どんなに忙しくても時間をわざわざ作り
できるのですから。
私が思うに、この人の「好き」は本当に大切だと思うのです。
「好き」はある意味「欲望」や「囚われ」と捉えることができますが
同時にこの好きは悟りに至る可能性も有るのです。
仏教には「煩悩即菩提」という言葉があり、煩悩と悟りは決して別々の場所から生じて
存在しているのではなく、同じ場所から生じているということであるのです。
もちろん自分の思うがままということではないですが、いくら他人が喜ぶ行為でも
それが自分の本当に好きな事で無ければ、困難に遭遇した際乗り越えていく可能性は
低くなります。
ですから、自分の「好き」はものすごく悟りを得る為には必要なのです。
つまり、自分のしたいことと他人の欲求と言う相反する価値観がちょうど重なりあう場所こそ
我々が心穏やかに生きていける道、中道になるのです。
「煩悩はダメ」「自分のこんな行いダメ」と何でもかんでも否定していれば、新しい花は咲きませんし
第一その切り捨てた煩悩はどこへ行くのでしょう?
自分と他人がハッピーになる行いこそが、自利利他円満、我々の修行が実るときなのです。