駐車場にこんな穴が。
恐らく亀ですね。
子孫を残すために一生懸命あちこち掘っています。
でも、昨年大分亀を捕まえた人がいるみたいで、数は減ってしまいました。
何やらネットで売るそうです。
ぜひ、こうした事はやめてほしいですね。
…「放生池」こうした名の付く池が時折寺や神社に見受けられますが
これは昔捕らわれた亀や魚を放す為に設けられた池であります。
我々は人間はこうした動物と捕食関係にあり、言い換えれば生き物の命を
犠牲にして生きているのです。
そこで、昔は「放生会」と呼ばれる、生き物を解き放す祭事が行い
少しでも滅罪をしていたのでしょう。
そんな少しの命を解き放したところでなんの意味があるのか?
現実には人間は動物に限らず植物にしても、生きるためには他の命を奪わざるえないであろう。
という意見も有るでしょうが、当然我々人間が生きていくためには、他の生命を奪わざる得ないです。
しかし、そうした殺生を最小限に食い止める、無駄な殺生をしないという努力は必要になりますね。
そのためにも、こうした真実と向き合う事が大切なのです。
真実とは人間は罪深い生き物でもあるということです。
当然ストレスもかかりますが、そうした「律」が無いと、反対に我々の為にもなりませんね。
欲望は際限なく膨れ上がっていきます。
そして、それを抑えて足るを知る感知装置を作るのが、律であると思うのです。
こうした自由な時代にこそ、こうした面倒な、そして負荷がかかる行いが
実は幸福を感じやすくしてくれる行いになるのでは無いのでしょうか?
…うどんを鍋で茹でる際吹きこぼれる際に水を投じます。
それによって、沸騰した湯を和らげ、吹きこぼさずに麺を茹で上げられるのです。
スイカに塩を効かせるのはより甘みを引き立たせるためです。
「−」要素と思わえることが実は、幸福を引き立たせるのです。
いずれにしても、亀をこれ以上とらないで欲しいですね。