1円の得にもなりそうにない行動に……
カンザキアヤメが咲いていました。
葉に埋もれるように咲く、奥ゆかしい姿がいいですね。
さて、我々は縁を大切にすることはとても大事です。
因縁果と言って、因と縁の和合が、結果を生みます。
従って、縁なくしては何も生み出されないという事なのです。
しかし、あまりにもその縁を取り繕うとして、一体自分の本来の姿(方便)が
何なのかわからなくなってしまっては、意味がありません。
例えば、人との縁は大切だと言い会合ばかりに出席して、本業がおろそかになってしまったり
何か決断を迫られた際に、仲がいいを通り越して、慣れ合いになり
決断ができず、結果組織が重くなり消滅する事が
世の中往々にあるのです。
従って、縁も大切にするのは大切ですが、我々の正体は方便なので、そのバランスをいかに
取るかが大切になるのです。
真言宗の中興の祖である興教大師覚鑁上人は弘法様の教えを復興しようと高野山で活躍されて
いましたが、山の中での争いに巻き込まれ、1135年保延元の元旦を機に全ての役目を降りられ
3月21日から三年間「無言行」に入られたのです。
この行の間に天皇からお誘いのお手紙を二回届きましたが、それすらも無視されて行に励んでいたそうです。
この時代、天皇の擁護を得ることは、現実問題お寺を運営してくためには重要な事であったのですが
それぐらい徹底されていたのです。
弘法様も激務の中でも日にちを決めて、山を降りずに行に徹底される時間を作っていたそうです。
その間は、覚鑁上人と同じく天皇からのお誘いをお断りしています。
覚鑁上人はもっと徹底していて、「無言行」の名の通り誰とも言葉を交わさずただひたすらに
観法(真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法)に没頭されていました。
冒頭でも申しましたが、生きていくうえで特にこの資本主義の世を生きていくうえで
縁はとても大切です。
しかし、それに溺れ、自身のすべき事まで忘れてしまえば、形骸化してしまい
無常の風に吹かれてそれでお終いです。
覚鑁上人のこの行は、自身の俗気におびた法体を癒やすだけでなく、その時代の僧に向けた
メッセージでもあるのだと思います。
それはつまり、つまらないこだわりを持ち、争いをするのではなく、弘法大師の教えを自ら実践し
方便を究竟としろと言うことです。
都で、様々な人との繋がりを作ることは、宗団を運営をしていく上でとても大切なことです。
しかし、本来の目的は何なのか?
本来の目的は付き合いが目的ではなく、弘法大師の教えを実践し、一人でも多くの人を救うことが目的のはずだろ?
と自身が実際に行に徹底されて、その背中で語っておられるのです。
今は、リアルだけでなくネット上でも二十四時間交流できます。
しかし、それに気を取られて、方便を忘れてしまったら、どうにもなりません。
ただ、人はそうした人との繋がりで安心を得ます。
それは本能です。
そして、今の時代、ちょうど覚鑁上人がおられた、貴族天皇政治から武士へと移っていく時代と
同じくらいの激変の時代だと思います。
もちろん、覚鑁上人の時代に比べると、IT革命はとても静かですから気づかないかもしれませんが
気づかないだけで物凄い勢いで変わっているのです。(正式にはもう変わった)
従って、人が不安を抱え、人の縁に依存したくなるのも、当然とも言えます。
しかし、こんな時代だからこそ、そのネット圏外に身をおく事が大事なのです。
激務の最中、弘法様も覚鑁上人に至っては、三年もの間(一説には四年)、行に徹されたわけです。
そして、立場としては両者とも、もう国の第一線ともなる偉いお方です。
凡夫には行をしたところで一文の得にもならないように思えるかもしれませんが
こうして、行に徹し、法体を癒やす事により、心が腐敗せずに済むのです。
そうすれば、バリバリと公務をこなせ、いい決断、正しい行動を取ることが出来るのです。
「じゃぁ圏外はどこにあるの?」「山にでも行こうかなぁ?」と思われるかと思いますが
もちろんそれもいいでしょうが、どこでもそれはできます。
例えば、自宅の神棚、仏壇に一日一分でいいから、一心に祈るとか
月に一回写経に没頭するとか、玄関の掃除を一心にするとか、とりあえず
損得勘定をせず、その行動をすることを目的にする事を、生活のどこかに盛り込むのです。
そうすれば、一瞬かもしれませんが、自分への執着が離れ本来の虚空の世界を遊覧することが出来て
心体を癒やすことが出来るのです。
圏外の場所とは、本当にインターネットが届かない場所だけでなく、方便を一心に行うところに
存在しているのです。
激変の時代でなおかつ資本主義の社会で、一円の得にもならなそうな行動に、
この時代を生き抜くヒントがあるのです。