朝お参りの後に、海辺を車で走っていて
鈴鹿山脈、御在所岳が綺麗に見えました。
冬に近づき、空気が澄んでいるのでしょうか。
そういえば、いつも海の近くにいるんだったなぁと、再確認しました。
心も迷いがなくなり、澄みきるとこうして真実が浮かび上がるのでしょう。
禅語に「莫妄想 まくもうそう」という言葉があります。
我々は心に迷いがあると、有りもしないことを妄想しだします。
何も起きていない事に怯え、苦しみが生まれるのです。
真実は見えず、有りもしないものに怯える。
そんな時は「妄想することなかれ」と心の中で唱え、その迷いの霧を払いましょう。
それでも、払えない場合は、どんなことでもいいので「今行えること」をしましょう。
川の水は留まらないことによって、清らかさが保たれます。
何か行う際「こんなことしても何の役に立たないだろう」と我々は自動思考しがちです。
こんな事とは、何かと比べています。
大きな事でなければやる意味が無いと、心の中で思い込んでいるのです。
しかし、まぁ確かに大小はあるけれども、優劣はありません。
その、目に見えるものに囚われることなく、自身のできることをすればいいのです。
例え体が動かなくても、一言「ありがとう」と言葉でも施せるのです。
この一言は、非常に軽視されがちですが、物凄い功徳があります。
どんな、秀でた能力を持っていても、こうした事ができない人は案外います。
ですから、自動思考せず、今自分に備わっている方便によって
迷いの霧を払い、余計な物を惑わされず、真実の世界にたどり着きましょう。