言い訳はできない時代
夏の花の芙蓉の花が咲き出しました。
蒸し暑い中、白い花が、癒されます。
芙蓉は一日花ですので、明日にはもう散っていくことでしょう。
こうして花が美しいのは真理を体現しているからではないでしょうか?
本当に短いわずかな時間でございますが、与えられた時間を精一杯全うしていて
その姿には全く淀みが感じられません。
この姿を「仏」と言わずして何と言うのでしょう?
さて、「時期がきたらやる」「今はやらない」と何かに理由を付けて、または常識や固定観念にとらわれて
我々は行動を怠ることがあります。
しかし、雲にいくら覆われていようと、月は輝いていてるのです。
要は、単に自分で妄想の雲を作り、光を遮っているのです。
それでいて、「自分は出来ません」と言っているのは、傲慢以外の何物でもありません。
以前、ネットの記事で、「映画を撮りたいなら、今すぐとりなさい」というような記事がありました。
今は本当に、インターネットやテクノロジーの発達により、映画がそこまで高価な機材がなくても出来るそうです。
映画監督になるには、「○○さんのもとで何年修行して…」と膨大な時間と修行が必要という概念がありました。
しかし、今はなろうと思えば今すぐにでもなれる、そんな時代なのです。
ただ、裏を返せば、言い訳ができない時代でもあります。
ですから「映画撮りたいんだけどねぇ、中々出来ないんだよねぇ」という理由は、「やらない」「行動してない」という事で
言い訳にしか過ぎないのです。
「やれないではなく」「やらないだけ」そして、やってもダメなら、力が足りないだけ。
もう、言い訳も何もできない、如実に全てが露わにされる時代を、我々は生きているのです。
だからこそ、今すぐやりたい事があればやるべきで、理由を探し行動しない事は理由になってないのです。
芙蓉の花の様に、我々もいつか散っていきます。
勿論、芙蓉の花に比べれば随分時間はあります。
しかし、その分自分たちの命はいつまでも続くんではないかなぁと錯覚もしやすくなるのですね。
時間は有限だと知り、そして今はすごく恵まれている時代だと知り、一心に与えられた時間を楽しむ努力をしましょう。
その姿こそが「仏」なのです。