椿の花が沢山落ちていました。
椿の花は徐々に散っていかずに、いきなりぽとりと落花します。
しかし、落花の群生もこうしてみると綺麗なもんですね。
まだ、自分が枝から落ちたと気づいていないようです。
…水は流れてとどまることは無くも最後には海にたどり着きます。
散った花は枝に帰ることは無いのですが、必ず実を結びます。
「流水落花」は無常の世のすがたであるのですが、それは言い換えれば
永遠の命であるということでしょうか。
我々は「生きる」と「死ぬ」と認識するのですが、仏教的に見たら生きるも死ぬも無いのです。
それらを決めているのは我々の心の中で作られる「識」がそうさせているのです。
我々は本来は長い長い旅の途中であり、我々は縁がありこの世にお呼びがかかり
こうして生じたのです。
物事の起こりは、因と縁によって成り立ちます。
この因こそ、我々の生みの親である仏様の願いであり、自分の天命なのでしょう。
それを悟ることが大切になるのです。
その為には、自分という存在が無いと仮定し、その上でどうして成り立っているのか?
と考えると、できるかできないかは別として、浮き彫りになるのです。
…しかし、我々は厄介な「自分」があると思い込んでいますから、どうしても「自分の好きな事」を
優先しがちになり、尽くし合うこの世から外れていき、更に生死に執着して苦は増幅するばかりであります。
ですから、こうして自分の成り立ちを調べていくことによって、安住の地は実はこの世にも
あるのだと気づくのですね。
…こうして落ちながらも枝に付いているように美しい椿の花を見て天命を全うし生死を離れる
姿はこんな感じかと思った次第でありす。