住職の日記

竹は資源だった

竹は資源だった

当山の東側には竹藪があります。

毎年日長のお祭りに日長神社の奉賛会の方が、当山の竹を切りに来られるのですが

もうこの辺りに、こうして真っ直ぐ伸びている大きい「真竹」は無いそうです。

また、昔はこの竹は家具などの物に使ったらしく、当山の竹は入札制になっていたほどです。

今はお祭りに数本使うほどですが、その昔は我々人間が生きていくための大切な「資源」でありました。

また、昔は電気、ガスもありませんから、風呂もご飯を炊くのも薪をくべていました。

つまり、木が「資源」であります。

昔は自然と我々人間の関係は密接だったのは、「自然」が人間が生きる為の大切な資源だったのです。

今はプラスチックや灯油やガスなど様々な化学製品があり、資源としての自然の需要はかなり少なくなりました。

ですが、それによって自然と我々が別々に存在していると錯覚もしやすくなったとも言えます。

自然と密接に生活していると、もちろんいい所ばかりではありません。

自然の猛威というものを、身をもって感じます。

ですが、それらがあるおかげで、その自然への畏敬への念から、謙虚さが生まれ、感謝の心が芽生えるのです。

自然と我々人間を変に分け隔てすると、思わぬしっぺ返しを食らう事になります。

資源は時代とともに、どんどん他の物にスライドして行きますが、自然への畏敬の念は忘れてはいけませんね。

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