住職の日記

竟りはない

竟(おわ)りはない

ツツジの葉の紅葉。

ツツジも紅葉するんですね。

さて、何かを続けていくうちに、これはどこまでやったら極めた事になるんだろう?
どこまでやったらゴール何だろう?

という疑問にたどり着くかと思います。

ですが何事に於いても、これで良いというものはありません。

なぜならこの世は諸行無常で、常に変化しているからです。

よって、これで良いだろうとしてしまった時点で成長は止まってしまいます。

以前何かのドキュメンタリー番組で天才棋士の羽生さんの特集をやっていたのですが

羽生さんは言わずとも天才棋士と呼ばれ、25歳にして七冠を取りました。

ですが、その後漠然な不安に襲われ、成績を徐々に落としていったのです。

そんな中いつも何気なく見ている光景にハッと気付かされたと言います。

その光景とは将棋会館でベテラン棋士が若手棋士と対局している姿です。

ベテラン棋士の方々は全盛期を過ぎても尚自分の将棋を極めようと日々鍛錬しているのです。

羽生さんはこの光景を見て、生涯をかけて自分の将棋を極める事が大切だと感じたそうです。

その後自分の将棋を見つめ直し、また成績をあげていかれたそうです。

普段勤行をする際に「三竟」というお経を読みます。

これは「仏法僧」に未来が果てるまで帰依し続けるという意味です。

つまり、竟(おわ)りはないのです。

自分の命が続くまで、仏法僧に帰依し続けることが大切ということです。

これでいい。こんなけでいい。という物はありません。

仏道だけでなく何の世界でもそうですが、生涯をかけ、自分の道を極める事こそ価値があるのです。

言い換えれば瞬間的な力で手に入れた物は、そこまで価値が無いとも言えます。

「道で始まり道で終わる」

何かを得ることが目的ではなく、自分の道を歩くことを目的にしないと、道は開いて行きません。

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