正しく物事を認識するには…
ダイジョウカンの実がなっています。
それにしても、今日は暑いですね。
どうか体調崩さない様に気を付けてください。
さて、我々の心は本来清浄であります。
しかし、煩悩によって心が汚れ、正しく物が認識できなくなるのです。
般若心経の中に「顛倒夢想」とう言葉があります。
顛倒とは、物事をひっくり返した考え方をして、正しく認識をしない事です。
「慣れ」とはいい事でもあり、恐ろしい事でもあります。
先程も申しましたが、心が煩悩によって汚れたままでいると、正しく物事を認識できません。
しかし、住めば都で慣れるのです。
したがって、物事をひっくり返った状態で認識することに慣れてしまっているので、
正しく物事が認識できませんから、幸せになることは出来ません。
夢想とは「○○だったらいいのに…」「○○だったはずだ」などと現実から目を逸らし、まるで夢の中に生きるような事です。
夢や理想を持つことは素晴らしい事ですが、しかしそれが現実にどうなのか?
理想はそうかもしれないが、今どのように対応するのか?
我々が生きているのは、過去でも未来でも、夢や理想の中でもありません。
生きているのはこの一瞬なのです。
あまりにも夢や理想に酔いしれると、自分という存在を正しく認識することが出来きず幸せになれません。
「顛倒」「夢想」いずれせよ、心眼を曇らしている原因は心の垢であります。
流れる水は濁りがなく清らかであるように、我々も留まらずに一心に行動し続ける事で、心の曇りは晴れていきます。
これやったらどうなるの?と打算が働く物ではなく、その行動をするために行動をする、つまり見返りを求めない行動を続ける事が大切になります。
そうすることにより、心が曇らず、正しく物事を認識することが出来るのです。