持っているだけでは…
ハマボウの葉が見事に黄色く色付きました。
紅もいいですが、黄色も鮮やかでいいですね。
さて、どんなに勉強して、様々な知識を付けても、一つの実践には勝りません。
どんなに仏に成る為の方便がわかっても、それを実際に行わなければ、道は開きません。
これを「体解(たいげ)」といい、実際に自分で行う事により、本当の意味で理解できるのです。
例えば「これやったらこうなるよ」と知人に言われても、「へーそうなんだぁ」と頭で納得しても
それだけでは理解したことにならず、実際に体験しなければ、本当の事は分からないのです。
よく、チラシなんかで、効果を上げる為に、顧客やユーザーの声を載せたり
飲食店なんかだと口コミサイトが人気だったりするのは、実際に行った人の声だからです。
体解した人の声は、「自分もそういう体験が出来るんだ」と伝わりやすくなるからです。
そこで、悟りを開かれたお釈迦様や弘法様のお言葉という物が貴重な物になるのです。
実際に真実を体解された方のお言葉なのですから、これほど説得力がある物はありません。
真理は昔も今も未来永劫変わりませんから、これからどんな時代になろうとも
錆びつくことはありませんし。
パソコンだって、持ってるだけでは何もなりません。
せいぜいオブジェくらいの価値です。
しかし、それをインターネット回線に繋げれば、情報を収集または発信、他の人とのコミケーションができ
豊かな生活が送れるのです。
持っているだけでは、自己満足で終わってしまいます。
従って、知るだけでなく持つだけでなく、考えるだけでなく、方便を究竟としましょう。