強いから最善ではない
先日瓦屋さんに来ていただいて、庫裏の屋根を見ていただきました。
当山の庫裏はいつ建てられたかは不明ですが、おそらく明治ぐらいなので、百年以上は建っていると思いますが、当然古いです。
でも瓦屋さんが庫裏を見て「この建物がこの寺で一番頑丈ですね」とおっしゃられたのです。
その理由は↓にあります。
庫裏の柱はなんと、この石に乗っているだけなのです。
何の接着もしてません。
こんなんで本当に大丈夫かなぁと最初これを見たときは、思いましたが
こうすることにより、地震が来ても、柱が石に乗っているだけなので建物自体も一緒に揺れるので、激しく揺れますが建物は傷まないそうです。
隣の客殿はしっかりと固定されていまして、そして建立からまだ50年と庫裏よりもかなり新しいのですが
一見客殿の方が丈夫そうですが、屋根屋さん曰く庫裏の方が長持ちするとのことです。
我々人間がどんな技術を駆使しても、大自然には敵いません。
ですから、そんな争いはせず、大自然の圧倒的な力を受け入れ、自分の力の小ささを認め
どうしたら自分たちが生き延びれるかと考えられた昔の賢人の知恵ですね。
何でも強いから生き延びれるのではありません。
一見ガチガチに固定されていて頑丈そうに見えても、ゆさゆさ揺れたら、緩みがありませんから、様々所に痛みが出るでしょう。
心も隙間がないと、このような状態になってしまいます。
これが正しいんだ、俺たちは優秀だという決めつけは、心をガチガチに固定している状態です。
こうしたものは崩れるときはもろいもんです。
こだわらず、偏らず、いかに自分たちが穏やかに生活できるかを考えることが大切です。
時代の波に逆らうのはなくそして流されるのでもなく、その波を受け入れ波に乗ることが大切です。
武道でも相手よりも非力でも、相手の力を利用し、投げ飛ばすことが出来ます。
ボクシングでいうとカウンターですね。
力が強い方が勝てるわけではないのです。
こだわらず、偏らず、何もかも受け入れ認めた物が、最後は残っているのです。
そのためには、謙虚さを忘れない事ですね。
謙虚さがあることにより、心に隙間を開けることが出来ます。
隙間があれば、変化の波が押し寄せても、波に乗ることが出来ます。