平常心を保つには
沈丁花が咲き出しました。
自然の線香と言われていて、いい香りがします。
沈丁花が春を教えてくれました。
「楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で。」
<棋士 羽生善治>
こちらの言葉は天才棋士の羽生さんのお言葉です。
ギターの弦は緩すぎても張りすぎても、ダメです。
べろーんと緩すぎたら、音はなりませんし、逆にはりすぎてもプツリと切れてしまいます。
適度に緩みがあり、適度に張りがある方状態がベストです。
それは、我々人間の精神もそうです。
何でも事なかれ主義の、楽観主義すぎても、この先どうなる?と気にしてばかりの悲観主義すぎても幸福になりにくいです。
どちらにもとらわれない平常心がベストであります。
そして、真価を問われるのは、土壇場であります。
では土壇場でも平常心を保つためにはどのようにしたらいいのか?
仏教には「自灯明」という言葉があります。
自分を拠り所とし、自分の足元は自分で照らせという事です。
土壇場になった時でも、平常心を保つ為にはどれだけ自分を信じれるか?です。
しかし、普段なんにも努力しないで、ちゃらんぽらんな自分を信じろって言われても
それは無理と言うものです。
何故なら、自分のことを誰よりも知っているのは自分ですから、拠り所と出来るわけありません。
ですから、本番よりも普段の方が重要とも言えます。
例えば、テスト前になんにも勉強しないでいい点数をとれるのでしょうか?
まれにそう言った天才は存在はするかもしれませんが、大半は低得点でしょう。
しかし、テスト前に「これだけやって後はダメだったら仕方ない」という位勉強したとします。
そうしたら、テスト前は緊張しますが、そうした努力した自分がいますから、土壇場で自分を拠り所と出来るのです。
よって、土壇場でも平常心を保てるのです。
平常心で何かに取り組めば、結果はおのずとよくなるでしょう。
「果報は寝て待て」と言いますが、ただ寝て待っているだけでは、それだけの結果しかついてきません。
しかし、自分のベストを尽くし、努力した自分を拠り所とし、後はなるようになると、ある意味開き直るぐらいの気持ちでのぞむと、結果がよくなるという事です。
また、本番前に緩み、本番で真剣にどうにかしよう考えても、これまたどうにもなりません。
先程も申しましたが、本番よりも普段が大切です。
「仏法遥かにあらず」
今この場が道場(本番)です。