公園の栗がだんだん落ちてきました。
まだまだ暑い日が続きますが、確実に秋は来てますね。
「小さい秋」と言いますように、秋は中々感じにくく
気付いたら「もう冬?!」なんてこともしばしばです。
ですから、楽しむ「気」が無いと中々感じられませんね。
よく「楽しい人生」があると思い込んでいる人がおられますが
そうした人生は無く、人生を楽しむ事が大切になりますね。
そうした心が無いと、楽を求めれば、やがて苦が生まれて
不自由が嫌で、自由(フリー)を求めると、やがて不自由がやってきて
また不自由な檻にはいりこんでしまう。
ですから、楽やフリーを求めるのではなく、更にその上を行き「自在」を
求めることが大切なのです。
自在とは執着から解き放たれた状態の事を言います。
世間では不幸生き方、幸せな生き方などどいった偏った情報がながれていて
時に「自分は不幸では?」と思い込むことがあります。
比較をして、無いものを憂いて、苦しみ、そして何を得ようと努力をしても
やがて、苦がやっていき、永遠に満たされることがありません。
幸せかどうかは、それを決めるのは最終的には自分であります。
他人からどんなに幸せそうに見えても、本人が心穏やかでなければ幸福でありませんし
他人から辛そうだなぁと見えても、当の本人は至って心は穏やかで幸せなこともあります。
他人から、決めつけられる必要は無いし、他人と比較をしても幸福にはなれませんね。
もちろん、自分にとっていいものは取り入れていくことは大切ですが
こうした妄執に囚われていると、比較や偏った情報によって
極端に不幸になったり、反対に有頂天に登るようなアップダウンの激しい精神状態では
決して穏やかとはいえませんね。
その為には、とらわれず、法を拠り所とし、自分を拠り所とし
自由自在に生きていきましょう。
すでに我々は過不足であるということは忘れてはいけませんね。