ふわっといい匂いがしたなぁと思ったら口なしの花が咲いていました。
「無功徳」と言う禅語がありますが、時折自身の功績や実績を自ら話される方がおられますが
自らの行いを自らが言ってしまいことは、どんな善い行いだとしても、その功徳が台無しになって
しまうということです。
自分の行いに打算や見返りが働いては、その行いは善行ではなくなってしまうのです。
では、見返りを得なくても行える行いとは、「好きな事」です。
ですが、どんなに好きな行いでも誰にも認めてもらえないのなら、継続が出来ません。
そこで、自分以外の誰かの喜びに貢献する利他の要素が必要となるのです。
ですが、同じくどんなに善い行いで、人の為になる行いでも、自分が好きでなければ継続は出来ません。
ですから、その自分と、他人が喜ぶ行いの接地点が「自利利他円満」となるのでしょう。
…我々が「この人素晴らしいなぁ」と認識するとき、周りの人から「あの人こういう人だからすごいよ」と
言われて周りの情報で認識することが多いですね。
どんなに凄い実績がある人でも、情報が無ければ我々は認識できません。
しかし「自分はこんなにすごい人です」って自分で言われると、何だか途端に
そう思えなくなってしまいます。
つまり、「実績が物を言う」と言いますが、本当に実績があればその人が言いふらさなくても
そういう話が勝手に回って行くってことでしょう。
今日くちなしの花の匂いが、風に乗って、その存在を知らせたことと
似ているような気がしました。
本物の花はそんなものじゃないでしょうか。