好きを提示すると…
信者様からロメインレタスをたくさんいただきました。
このロメインレタスとても美味しいです。
しゃぶしゃぶにしてもいいですし、写真のようにごま油で和えたサラダにしても良いです。
癖がなく、何にでも柔軟に合わせられるのは野菜でも人でも活躍する場が多くなりますね。
さて、これから何かを始める際に賛否の評価が集まることが、私は大切ではないかなぁと思います。
何故なら、もう物は行き渡り、インターネットは普及して情報は行き渡り、と
もうある意味全て行き渡ったと言っても過言で無いでしょう。
従って、もう普遍的な事を我々がやる必要性が無いといえるのです。
逆に、そうすれば不味いと言っても過言では無いでしょう。
まぁ何のジャンルにもよりますがね。
だからこそ、自分の好きを混ぜていくことにより、唯一無二の存在になりえるのです。
もちろん、その決断には否定的な人もいるかもしれません。
ですが、その反面「いいね」と賛同してくれる人もいるわけです。
後は、その共感してくれた人といいお付き合いをしていけば良いのです。
もし、普遍的に生きていこうとすれば、圧倒的な存在に埋もれ個性は発揮されません。
従って、そうした普遍的なものは、そうした圧倒的な存在に任せていればいいのです。
というよりも、好きなことしないと「だめ」な時代なのかも知れません。
あっちにもこっちにもいい顔しても、それに見合った器がなければ、周りを巻き込み
疲弊して自滅していくだけです。
従って、好きを早めに提示しておくことが大切になります。
ですが、予めその価値観に合わない人は生まれてくるのは当然だと自覚しておきましょう。
光がさせば影が生まれ、その光が強ければ影も濃くなるのです。
それがこの世(密厳浄土)の姿なのです。
それを「覚悟」することが大切になるのです。
しかし、それでも「皆に好かれよう」と普遍的に生きようとしても
おそらく自滅は「ほぼ」避けられないと思うので
決断あるのみだと、私は思うのです。