多分こんな感じだと思う…
本日はお彼岸お中日で当山の施餓鬼会でした。
檀信徒の皆様方で、餓鬼の供養を致しました。
天候も良く、暑さ寒さも彼岸までと申しますように、時折心地の良い風が堂内に入って来て
秋の訪れを確かなものにしてくれました。
…「仏の世界」とはどんな様子か?
一言で言うと、本日の施餓鬼法要の様子がそうではないでしょうか?
僧侶のによる心地の良いお経が聞こえてきて、鐘や鈸の音色が鳴り、香の良い匂いが漂い
皆が寄り添う、そんな世界だと思うのです。
そこには、救われない存在、無縁の存在はいません。
仏様がそんな事を許すはずもありません。
施餓鬼とはこの世から供養を受けられない仏様の事を言い
それを我々が御供養致します。
そして、その尊い姿を見ているご先祖様が喜ばれる、つまり施餓鬼という行いは
ご先祖様の供養にもなるのです。
この様子を浄土と言わずして何と言いましょう?
ただ、一人で行う事も大切ですが、こうして集まって行う事で更に功徳がますように思います。
そこで重要なのが「法要」です。
法要とは仏法の肝要を知るという意味があります。
つまり、仏法の真髄と言うのがその行い、方便の中にあるという事を
実際に行って「知る」事が大切になるのです。
こうして、皆で施餓鬼という仏の行為を体験する事によって、皆がこの行いを
通じて仏法とはどんなものか知る事ができるのです。
…お彼岸は、迷いの世界から、仏の世界へ渡る期間であります。
一人で渡れた人も凄いですが、皆で渡るに越したことはありません。
そして、大勢を渡らす為には、間違いなくこの「法要」が肝心になると思うのです。
地蔵寺はこの施餓鬼法要の最中だけかもしれませんが、皆で少し渡れた気がします。
取りあえず、仏の世界とはどんなものか知ったのではないでしょうか?
この体験を日常生活に活かして、普段もこうした施餓鬼の心を保ち続けたいですね。
本日ご参会くださいました皆様ありがとうございました。