葉に埋もれながらも可憐に咲くカンザキアヤメの花。
…我々人間の煩悩が無くならないように、本来誰もが備わっている仏の性質も
どんなに心が煩悩に塗れ、その仏になるための種が埋もれようと、
わかりにくくなることはあっても、決して無くなることはありません。
その種はダイヤモンドよりも固く、滅することは無いのです。
後はいつそれに気づき発芽できるか?ですね。
また、それを妨げるのは他でも無い自分自身であるのです。
それに気づき菩提心を起こしたならば、心を汚していた煩悩が栄養となり
大きな花が咲くのです。
仏教の象徴の蓮華は美しい高原や高い山などに咲かず、汚泥で咲くように
悟りが煩悩とは別に存在してるのではなく、煩悩の上に悟りがあるのです。
つまり、欲が大きければ大きいほど、そこから咲く花は大きいのです。
ですから、煩悩は悟りを得るためには不可欠なのです。
葉に埋もれて咲くカンザキアヤメの花を見て、思った次第であります。