単なる殻だ
犬の散歩中こんな稀有な場面に遭遇しました。
蝉の羽化です。
そして、散歩から帰る頃には、こんな感じに。
羽化したばかりの白い蝉です。
蝉は3年から15年ほど地中で生活して、こうして地中から這い上がり
10日前後ほどの光を浴びて、精一杯鳴いて、果てていくのです。
そう思うと、「長い間地中に埋まって、すぐ死んでしまうのはすごく気の毒だなぁ」と思われるかもしれませんが
これ、我々の姿でもあるです。
まぁ、我々の寿命は蝉に比べれば随分と長いですがね。
我々がこうして、人として生を授かったことは、稀なことなのです。
生まれようと思っても生まれれるものじゃないのです。
それは宝くじよりも低い確率かもしれません。
ということは、もうすでに我々はそれだけで「幸せ」であると言えるのではないでしょうか。
我々は、情報や他人に惑わされて、自分は○○が無いから幸せになれないと、盲目的になってしまい
自ら不幸と思い込み、闇の世界(地中)へと迷い込んでしまうのです。
しかし、実際はそうではなく、蝉の羽化をご覧になっていただければ、お分かりになると思いますが
光を浴びるのは、この数十年と言う僅かな時間なのです。
蝉に関しては10日前後、今の時期の花のハマボウなんかは一日花です。
自分が生まれてきた前の記憶ありますか?死後の世界は分かりますか?
そんな事わかるはずもありません。
だから闇なのです。
よって我々は闇から闇へ還っていくのです。
じゃあ、死後の世界って闇なんですか?と恐怖が生まれると思いますが
その恐怖は「自我」つまり、自分があると思っているからです。
では、その恐怖を度すにはどうするか?ズバリ仏になるのことです。
この世に流れている生死、善悪、優劣などすべての事柄に囚われない虚空の流れに
冥合していかなければなりません。
じゃあ「仏様になるためには、煩悩をなくそう!」とか「悟りを開かなければ!」とか
「仏様の様に他の為に尽くさなければ!」などと意気込んでも状況は良くなることは無いと思われます。
そして「もう難しい!どうでもいいや」とぽいと捨ててしまうと、世の中は乱れ、自身も巻き込まれていくのです。
それこそ安堵の得られない、暗黒の世界です。
しかし、そうはいっても人の安堵ってどう得られるのか?
私が思うに、人から認められていると人は安心を得られるのではないでしょうか?
それは言い換えれば人の役に立つ事で、安心が得られるということでしょう。
ということで、自分が今「すべき事」をするが大切になりますね。
そして、その中で「出来る事」、出来ない事は出来ません。
そして最後にその中で「したい事」または「好きな事」です。
それを、すべき事をせずに、出来るのしないで、好きなことだけしては、どうにもなりません。
基本は尽くし合う世界ですので、利他の行いが最優先です。
ですが、それだけでは続きません。
いくら無我と言っても、人は感情があります。
それを無視して、いくら善い行いとされても、体が壊れます。
その辺のバランスは大切に慎重にしたいですね。
それを皆が実践すれば、自利利他円満、この世は仏の世界という事です。
…人は生まれながらにして既に仏様です。
それが、自我による欲望で心をケガされ本来の姿がわからなくなっているのです。
我々が思っている外面的な自分は、この空蝉のようなのです。
勝手に、自分はこういうもんだ、人はこういうもんだと、情報や欲望で支配された心の眼で判断しているのです。
従って、過去とか未来とか囚われず「今」純粋に自分は何すべきか?が真実への第一歩であるのです。
過去を悔いたり、漠然とした未来への不安に囚われていれば、今を生きることが出来ません。
もちろん全く反省も、計画もしない事が正義では無いですが、あまりにも囚われて、今を暗くする必要は無いと
いうことです。
今、今、今、今の連続が未来です。そこがどこか途切れたら、繋がらないですよね?
今の後に未来。今の前に過去です。つまり今は過去でもあり、未来でもあるのです。
だから、今を大切にすれば、過去も未来も切り分けて考えることもなく、それはつまり
未来にも過去にも囚われない、虚空の世界にたどり着くということでしょう。
「不生不滅」生じることも滅することもない、そんなとらわれのない安心が得られるのは
「今を生きる」人のみなのです。
空を知り、縁起の法則を知り、自分のすべき事、出来る事、したい事を組み合わせ
その方便を究竟として、「今」を生きましょう。
自分がすべきでない、自分には出来ない、自分の好きなことなんて理解されない。
そんな自分(自我)なんて言う殻は破り捨てましょう。
今を生きる事を邪魔するのは、環境や他人でなく、自分なのです。
最大の敵は自分。
そして、その実体は単なる殻(空)で、真実はそれではないのです。
囚われ物なんて本当は無いのです。
今生でそれを実践できるか?で幸せな時間が増えたり減ったりします。
我々は仏法に触れやすい日本に生まれたということ、これもすごい幸せなのです。