勝負したら負け
地蔵寺の周りの風景。
見るからに寒そうです。
さて、以前「勝ち組、負け組」という言葉が流行りましたが、あの勝ち負けの定義は何なんでしょう?
お金があることが勝ちなのでしょうか?物を沢山持っていることが勝ちなのでしょうか?
あくまでも、これらは資本原理主義の方の価値観だけですよね?
そういう価値観もいいと思いますが、それがすべてだという風潮はつまらなくなります。
でもこうした「勝ち組負け組」って言葉なんか一昔の言葉ですよね。
とても古臭いです。
やっぱり、密教の出現によって何も介さず直接仏さんの光に照らされ幸せになったように
インターネットや文明の発展などで、自分の幸福を感じやすくなったのでしょう。
特にFACEBOOKでは自分の活動を沢山の前で表現出来たり、YOUTUBEなんかは動画を投稿できます。
動画なんて、一昔は大手メディアの特権でしたが、今はスマホが普及し高価なカメラを買わなくても、きれいな動画を気軽に誰でも投稿できるのです。
これらのインターネットの浸透により、大企業や年齢、肩書に関係なく平等にそれぞれの才能が照らされたのです。
昨日もお話ししました通り、能代工業の走るバスケは部員が皆背が小さく、ゴール下の争いを避けるために、編み出されたものです。
ゴール下の争いには負けますが、背が低い分コートを俊敏に動くことが出来るのです。
バスケットにおいてゴール下の争いは大切ですし、その争いに身長が高い方が有利です。
ですが、いつまでも勝てない勝負をするよりも、自分たちの持っている才能を最大限に生かせば、「高さを制する」ことが出来るのです。
実際能代工業は王朝を築きました。
不毛な争いはこだわらず、自分の道を歩み、幸せな時間を増やすことに執着しましょう。
くだらない勝負をしたら負けです。
大体戦うなんて、スポーツ選手以外に必要ありません。
日本では勝負で勝者、敗者白黒つけるのでなく、それぞれの価値観を尊重し、昔からの日本の掟である「和」が必要となります。