傷つくことは…
受け咲き大山蓮華の蕾が大きくなってきました。
この花おもしろくて、一斉に花が咲くわけではなく順番に咲くのです。
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過去の写真。
花、蕾、咲き終わった花それぞれのシーンが同じ木で楽しめるのです。
楽しみですね。
さて、出汁がよくしみ込んだ大根の煮物おいしいですよね。
当然よく煮込まないと、出汁は染みわたりません。
しかし、これを短時間でしみ込ませる方法があります。
それは大根を冷凍することです。
大根を凍らせる事により、細胞が崩れ、そこから出汁が浸透しやすくなるのです。
これで短時間で、美味しい出汁がしみ込んだ大根の煮物が出来るのです。
私たち人間も、多くの苦労や失敗を重ね、傷つくことにより、人の気持ちや、大切な事がわかるものです。
苦労はその苦労をした人しかわからないものです。
傷ついた人しか傷ついた人の気持ちはわからないものです。
多くの苦労を重ね、失敗を重ね、傷つき、様々な事を甘受していくのだと思います。
よって失敗の数が多いほど、苦労を超えた数が多い人ほど、器が大きいとも言えます。
覚るとは全てを受け入れる事です。
よって人を許せるかどうかです。
時々人の失敗をものすごく、責める人がいますが、では自分は?との問いに。
「私は大丈夫、人に迷惑かけてない」との返答があれば、怖い人なんだと思います。
私たち人間が生きていると言う事は、何かの命が犠牲になっているのです。
その生き物からしたら、我々人間は迷惑以外の何物でもありません。
それでいて「迷惑かけてないなんて言える」のは、その自覚が無い状態ですので、大変危険です。
人を必要以上に責める人は、よほど自分は優れていて、善人だと勘違いしているのです。
失敗した事が無い人はありませんし、迷惑をかけてない人なんて誰ひとりいません。
自分を含め世の中の全ての物に善悪存在していると言う事を、知る事が大切なのです。
そうする事により、許す事ができ、受け入れる事が出来るのです。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、これは「チャレンジをしろ」と読みとれます。
それはつまり、「常識に縛れるな」とも読みとれます。
どんな泥にも清らかな種があり、清らかな花を咲かすことが出来ます。
しかし、常識と言う物に縛られ、「俺は不幸」「俺たちのいるところは立地条件が悪い」と決めつけ、行動する前に諦め
まだ見ぬ花が、花が咲かないどころか、種すら見つけられないで放置されていては勿体ありません。
勿体ないとは、命を粗末にしているのです。
その自覚が無いとこれまた恐ろしい事です。
それでいて、「お前はいいよな」「あそこはいいよな」とない物をうらやんでいては、時間ももったいないです。
今の状況に甘んじず、「どんな場所にでも清らかな種がある」つまり、全てに「善悪」存在している事を知り
行動をし続ける事が大切です。
未知の世界への道のりはそれは厳しい物です。
しかし、あの天才バスケ選手田臥選手も「NBAで173㎝の身長では無理」と言われ続けましたが、遂にはNBAのコートに立ちました。
173㎝の日本人選手は前例がないだけで、周りが決めつけていたのです。
しかし、周りの声を振り切り、田臥選手は努力を続け、遂には花を咲かせたのです。
私たちには想像出来ない苦労があったでしょう。
私たちは、この世に仏になる為に生れてきました。
仏つまり、悟りを開くには、全てを受け入れなければなりません。
受け入れる為には、苦労を知らなければなりません。
苦労をしなければ、人の痛み気持ちなんてわかるはずがありません。
その為には、常識に縛られず、まだ見ぬ花を咲かす努力をしましょう。
それまでの道は長く険しく、傷つくかもしれません。
しかし、傷ついた皮膚は修復する際に、細胞が前よりも大きく修復しようとするように、その度に大きく成長していき、器が大きくなって行く事でしょう。
そうすることにより、様々な物を受け入れていけるのです。
常識に縛られず、まだ見ぬ花を咲かそうと険しい道のりもたくましく生きる姿は仏さんなのです。