偉大な人は…
毎年岐阜の信者様から富有柿を頂きます。
とろっと柔らかく、「柿の王様」と言われるだけの事があって、濃厚な甘味が
我々を幸せな気持ちにさせてくれます。
さて、「偉大な人」って意味をどのように解釈しますか?
様々な実績を積みとても偉い人でしょうか?何か凄みを放つオーラを放つ人の事でしょうか?
勿論、それも偉大な人ですよね。
すごいなぁと思うのですが、ただ私感ですが、そうした人ちょっと苦手です。
どこか近寄りがたく、何かすぐに怒られそうな気がして。
では本来偉大な人は近寄りがたいのでしょうか?
そうではないはずです。
我々のそばに、もっとも「大いなる存在」がいるではないですか。
それは仏様です。
仏様は偉大なお方ですが、優しい顔をして誰もを受け入れ、誰にも寄り添ってくれる尊いお方です。
その人その人に合わせ姿を変え、我々を優しくそして時には厳しく、覚してくださるのです。
仏教には「和光同塵(わこうどうじん)」と言う言葉があり、あまりにも神々しい姿だと、
人々は自信を無くしてしまい近寄りにくくなるのです。
従って、その光を抑えて泥や塵にまみれた世間に、自ら混じり我々を救済するのです。
近寄れない偉大な人と、自ら泥に塗れながらも傍に寄り添ってくれる偉大な人、どちらが
より偉大なのでしょうか?
言わずともわかりますよね?
時代劇の「水戸黄門」などは正にそうですよね。
普段はひげを生やしたニコニコしたご隠居さんですが、困っている人に遭遇すれば、
本来の副将軍、水戸光圀公に戻り悪を成敗する。
弘法大師空海様も、自分の身を粉にして我々を一人残らず救済すると、虚空に同化し
今も尚その尊い行いを続けられているのです。
どちらも、とてつもなく偉大な人ですが、人々に「ご隠居さん」「弘法さん」と親しまれているのです。
「偉大な人」とは大きい小さいという事だけでなく、謙虚でこうした「宇宙いっぱいに広がる心」を
持った人の事を言うんでしょうね。