住職の日記

信じろって何を?

信じろって何を?

ハマボウがどんどん咲きます。

台風が過ぎいよいよ夏本番でしょうか?

夏休みにも突入したようですので、楽しんでくださいね。

さて、我々は生まれながらにして、仏になる素質(種)は誰もが平等に得ていて

そして、御仏に命を育む慈悲の光を照らされていて、誰もが仏になる事が出来るのです。

我々のすぐに出来る易行(簡単な修行)は仏教などを「信じる」であります。

しかし、信じるといっても、何を信ずればよいのか?

「仏教はよくわからんけど一生懸命拝めば、なんとかしてくれる」と信じれば良いのでしょうか?

もちろん、そうではありません。

それは盲信であり、真の安心(あんじん)にはつながっていません。

では、仏教の根本の仏様とはどんなお方なのか?

それは言うまでもなく「目覚めた方」です。

では何に目覚めたというと縁起の法則であります。

我々は確固たる「自分」が存在していて、「自分が生きる、生きている」という感覚にありますが

我々は、米粉や砂糖などの粉が餡や湯などのつなぎ(縁)によって集められた練菓子のような

存在なのです。

つまり、我々は縁によって支えられていて、自分が「生きている」のではなく

様々な縁によって「生かされている」のです。

「いや違う」と言っても、我々は縁の中でしか生きていけないのです。

仕事だって、生活だって、食事だってすべて縁の中から発生しているのです。

そもそも、我々の命は代々ご先祖様から継承されて、今日の我々があるのです。

縁以外に発生の余地が無いのです。

それを否定したら何が残るのでしょう?

従って、自分は縁によって支えられているのだと、まずは懺悔(感謝)しなければなりません。

そして、懺悔したならば、そのすべてが縁よって繋がる世界で自分が

他の為に「すべき事」「出来る事」「したい事」を編集し取り組むことが大切なのです。

大体うまく行かない事は、「自分のやり方」「自分がしたいこと」とすべてありもしない

「自分」から派生しているものばかりであると思います。

そうではななく、生かされている自分を受け入れ感謝をしなければなりません。

まずはその縁起の法則を信じることが第一であります。

そして、後は利他の行いをすれば、人の役に立ち充足感が得られます。

そうすれば、そんなに「自分」の行いでなければ満たされないと思い込んでいた呪縛から

解き放たれると思います。

虚空の世界において「自分は無い」と無我を感じれば、そこで自分の真実(方便)を知り

その方便を持って他に尽くし、この世に流れる尽くし合う虚空の世界に溶け込んで行けたならば、

今生で楽岸に渡れる(今生で仏になれる)のです。

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